富山新港展望台・新湊弁財天
富山新港の富山県射水市(いみずし)片口地区にある展望台。富山新港開港10周年を記念して昭和55年に建設された展望塔。高さは19.5mで、4階建て相当の位置から富山新港、そして新湊大橋を一望にするほか、晴れた日には立山連峰…
富山新港の富山県射水市(いみずし)片口地区にある展望台。富山新港開港10周年を記念して昭和55年に建設された展望塔。高さは19.5mで、4階建て相当の位置から富山新港、そして新湊大橋を一望にするほか、晴れた日には立山連峰…
富山県富山市、昭和9年に完成した富岩運河(ふがんうんが)の上流部、いたち川との間に昭和9年に設置された閘門(こうもん)が牛島閘門(閘門全長24.4m)。富岩運河よりいたち川の水面は65cm高いため、門扉(もんぴ)に設けら…
富山県高岡市川原本町にある千保川(せんぼがわ)の荷揚げ用に大正時代に築かれた街灯が恵比須塔。千保川河畔の川原町(現在の高岡市川原本町)一帯は、江戸時代から昭和30年代まで魚市場が並ぶ水産問屋の町として発展していました。
富山県射水市の串田新地区にある縄文時代住居跡と古墳群で国の史跡となっているのが串田新遺跡。砺波平野の東縁、庄川の東、大沢山と通称される丘陵に、繩文時代中期後半を中心とする大規模な集落跡と古墳時代前期円墳3基が確認され、史…
富山県高岡市戸出町にある永安寺の門が、往時の戸出御旅屋(といでおたや)の正門で御旅屋門と呼ばれています。御旅屋は、江戸時代の加賀藩で藩主の鷹狩、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設で、参勤交代の際にも利用された…
長野県(下伊那郡大鹿村)と静岡県(静岡市葵区)の県境、南アルプス山中に位置する峠が三伏峠(さんぷくとうげ)。標高2580m、日本最高所の峠ともいわれ、北の塩見岳、南の荒川岳、赤石岳への登山拠点として、三伏峠の長野県側に三…
山梨県山梨市三富、笛吹川総合開発事業の中核のダムとして昭和50年3月に完成した広瀬ダムのダム湖が広瀬湖。笛吹川は、明治40年の大水害、昭和41年の災害など、たびたび水害があり、水害による被害の防止、灌漑用水、上水道用水の…
宮崎県日向市にあるJR九州・日豊本線(にっぽうほんせん)の駅が日向市駅(ひゅうがしえき)。大正10年10月11日、鉄道省により宮崎本線の富高駅(とみたかえき)として開業した歴史ある駅で、平成18年12月17日に高架化工事…
宮崎県日向市細島、明治20年に内務省がオランダ人技師ヨハネス・デレーケ設計で港湾整備を行なった細島港にある商家が関本勘兵衛家住宅。苫屋の屋号を持つ関本家は江戸時代から続く商家で、現存する建物は明治12年の築。主屋1棟、付…
宮崎県日向市細島、大正時代に建てられた九州では数少ない木造3階建ての「高鍋屋旅館」(代々三輪家が経営)を再生したミュージアムが細島みなと資料館。細島港は、幅(南北)200m~300m、奥行き(東西) 3km の懐深い入江…
宮崎県日向市日知屋、細島の港を見渡せる小高い丘にある、明治10年の西南戦争に従軍した、迫田鉄五郎少佐以下319名の官軍兵士の墓地が西南の役細島官軍墓地。宮崎県内各地で戦死、病死した官軍兵士で、墓碑銘や当時の記録から、関東…
宮崎県北諸県郡三股町(みまたちょう)、沖水川の上流、大八重地区の乱れ淵から梶山地区の矢ヶ淵まで10kmにわたる峡谷が長田峡(ながたきょう)。入口の長田峡公園は、宮崎県道33号(都城北郷線)沿いにあるので、アプローチも便利…
宮崎県都城市早鈴町、明治12年に早鈴大明神の跡地に建設されたのが都城島津邸。昭和10年には都城で行なわれた陸軍特別大演習のため、増改築しています(閑院宮載仁親王が宿泊)。さらに昭和47年には昭和天皇宿泊のため大改装が行な…
宮崎県日向市伊勢ヶ浜にある「日向のお伊勢さま」と称される神社が大御神社(おおみじんじゃ)。本殿、拝殿は日向灘に臨む海食崖(柱状節理の断崖)に配され、海蝕洞には摂社、鵜戸神社が鎮座し、祠の前から振り返れば「昇龍の光」を拝む…
宮崎県都城市の北西部、鹿児島県境に近い御池町、御池開拓六工区にあり奇勝が神々溝(かんがみぞ)。10mほどの切り立った岩の溝で、長さ200m。天孫降臨の際に猿田彦命(さるたひこのみこと)が神々を迎えるために築いたと伝え…
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町を流れる三ヶ所川に懸かる美しい滝が鵜の子滝(うのこの滝)。溶結凝灰岩の柱状摂理が生み出す断崖に囲まれた巨大な滝壺が印象的な滝で、落差は20m。車道沿いにうのこの滝展望台が用意されていますが、急な階段…
宮崎県日南市南郷町にある江戸時代初期の万治元年(1658年)、飫肥藩(おびはん)の鎮守社として創建されたのが榎原神社(よわらじんじゃ)。飫肥藩3代藩主・伊東祐久(いとうすけひさ)は、内田万寿女(内田外記の娘で、当時神女と…
宮崎県都城市にある古社が輿玉神社(こだまじんじゃ)。創建は不詳だが、明治以前は久玉(くだま)大明神と称していた。明治初年に猿田彦命(さるたひこのみこと)、大名持命(おおなもちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を…