小倉城
関門海峡に面した小倉は九州、瀬戸内の入口に位置する交通の要衝。戦国時代の末に尾張国出身の毛利勝信(もうりかつのぶ=森勝信)が九州平定と肥後国人一揆鎮圧の功労で秀吉から豊前国小倉領を拝して築城したのが小倉城始まり。江戸時代…
関門海峡に面した小倉は九州、瀬戸内の入口に位置する交通の要衝。戦国時代の末に尾張国出身の毛利勝信(もうりかつのぶ=森勝信)が九州平定と肥後国人一揆鎮圧の功労で秀吉から豊前国小倉領を拝して築城したのが小倉城始まり。江戸時代…
北九州市小倉区にある福聚寺は、宇治の黄檗宗(おうばくしゅう)萬福寺の末寺。1665(寛文5)年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね=信州松本藩から明石藩を経て小倉に転封)が創建したもので、開山は福建省福…
かつての小倉城主、小笠原氏が茶の湯や能を楽しみ、客をもてなした下屋敷(したやしき)の跡を復元し、大名庭園と書院を再現した北九州市立の文化施設が小倉城庭園。「小笠原流礼法」の宗家でもある旗本・小笠原家も一族で、全国的にも珍…
入り組んだリアス式の海岸線に天然の良港が多い由良湾(和歌山県由良町)。そんな由良で真っ白な石灰岩の露頭に、周囲をすっぽりと覆い尽くされた摩訶不思議な景観が広がるのが、白崎海岸(白崎海洋公園)。古くは『万葉集』にも歌われた…
南部梅林と同じ和歌山県みなべ町にある梅林で、南部梅林が有名すぎて陰に隠れがちなのが岩代大梅林(いわしろだいばいりん)。30haに2万本の梅が植栽され、規模的には南部梅林に負けてはいますが地元の人手づくりの梅林で、比較的の…
「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)。びっくり下谷の広徳寺。そうで有馬の水天宮」というのは江戸っ子の洒落。入谷は山手線鶯谷界隈の地名。恐れ入るということを洒落て、入谷の真源寺に祀られる鬼子母神を掛けたものです。境…
梅干しの生産で日本一の規模を誇る和歌山県みなべ町。南部川沿いの丘陵地帯や山地は梅園になっており、4kmにわたって梅林が続いています。そんな梅の里で、観賞用の梅林として一般公開されているのが南部梅林。晩稲(おしね)地区の香…
和歌山市の無量光寺にある頭部のみの大仏(盧舎那仏)が通称「首大仏」(おぼとけ)。今は廃寺となった大福寺に江戸時代中期の享保年間(1716年〜1736年)に建立された大仏がルーツですが、その大仏は丈六仏(4.8m)。現在の…
鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司…
レインボーブリッジの足元に広がる台場公園。お台場エリアにある東京都建設局が管理する公園ですが、公園内にある第三台場は、江戸時代に外国船を警備するために作られた海上砲台の跡でいわばお台場のルーツ。1854(安政元)年に竣工…
愛知県江南市にある知る人ぞ知るコンクリート製の大仏。昭和24年、名古屋市できゅう師を営んでいた前田秀信が夢告を受けて建立した薬師如来坐像で、実は個人の所有で住居一体型というユニークな構造になっています。昭和29年完成の大…
富山県砺波市庄川町を走る国道156号沿いに建つ光照寺(真宗大谷派)境内にある緑色の大仏(阿弥陀如来座像)が庄川大仏。高岡市の高岡大仏(大佛寺)、射水市の小杉大仏(蓮王寺)と並んで「富山三大大仏」の一つに数えられています。…
神戸市北区山田町の神戸市立鵯越墓園内にある大仏が鵯越大仏(ひよどりごえだいぶつ)。戦前、神戸市が4年の歳月をかけて建立したという異色の大仏で昭和7年12月3日に開眼。像高12.54mのコンクリート製大仏で、大仏前の広場か…
福岡市地下鉄空港線祇園駅からすぐにある古刹が東長寺(とうちょうじ)で、山号は南岳山。寺伝では、806(大同元)年、唐から帰国した空海が、日本で最初に開いたといわれる真言密教の寺とされ、この西の地から、東に少しずつ広がるよ…
青森市にある高野山の青森別院が青龍寺。境内にある昭和大仏は、青銅坐像では日本一という高さ21.35m(台座を除く)の大日如来像。青森ヒバ造りの五重塔は、塔高39mで日本第4位の高さを誇っています。昭和57年、高野山東京別…
東大阪市の石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)近くに鎮座するのが石切大仏。精力ドリンク「赤まむし」などを製造・販売するサカンポー(阪本漢方製薬)の4代目・阪本昌胤氏が創業地である東大阪市石切町に建立したのが、知る人ぞ…
昭和62年に落慶した大師山清大寺(だいしざんせいだいじ)は、臨済宗妙心寺派の寺。身の丈17.0mと奈良の大仏を凌ぐ大きさの「越前大仏」(本尊の毘盧遮那仏)は、中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟のなかにある、竜門奉先寺座像をモ…
名古屋市千種区にある曹洞宗の寺、桃巌寺(とうがんじ)。室町時代の天文年間(1532年〜1555年)、末森城主・織田信行(織田信長の弟)が父・織田信秀の菩提を弔うために、愛知郡鳴海荘末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に…