水口岡山城跡

水口岡山城跡

滋賀県甲賀市(こうかし)水口町水口(みなくち)にある中世の城跡。標高282.8mの石英斑石(せきえいはんせき)の残丘、大岡山(古城山と呼ばれています)の山頂部に位置する山城です。天正13年(1585年)、羽柴秀吉は甲賀衆を支配するため中村一氏(なかむらかずうじ)に命じて築城させ、中村一氏が6万石を拝領しています。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)の甲賀支配の拠点

水口岡山城跡

水口岡山城跡 縄張MAP

水口は、京・大坂から伊勢を結ぶ街道の要衝に位置しています。
水口市街地に囲まれるように残される城域(古城山)は、浸食から取り残された石英斑石の独立峰。
尾根沿いに東から出丸、三の丸、二の丸、本丸が築かれています。

近江国(おうみのくに=現・滋賀県)甲賀郡は、「甲賀五十三家」と称される在地領主が合議制で政(まつりごと)を行なう政治風土で、織田信長の近江侵攻という軍事的緊張を背景に甲賀郡中惣(こうかぐんちゅうそう)という武士から農民に至る自治組織を有していました。

元亀元年(1570年)、野洲川の戦いで敗北、信長の配下となり、さらに天正13年(1585年)、羽柴秀吉の兵農分離により、武士団の多くは農民となっています(「甲賀ゆれ」)。
この甲賀支配の一環で、水口岡山城は築かれています。

天正18年(1590年)に増田長盛が、さらに文禄4年(1595年)には長束正家(なつかまさいえ)と豊臣政権の五奉行が城主を務める要の城でしたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで城主・長束正家は西軍に属し、池田長吉(いけだながよし)、亀井茲矩(かめいこれのり)らの攻城で降伏、開城。

長束正家は切腹となり、城は水口城の築城の際に部材として転用され廃城になっています。
江戸時代の甲賀は、水口城(幕府管理の幕府直轄の城)が水口藩の藩庁となり、甲賀流忍術(甲賀流忍術屋敷が現存)でも知られる甲賀衆も伊賀衆と同様、徳川幕府の幕臣となっています。

水口岡山城跡は、平成25年から甲賀市教育委員会の発掘調査が行なわれ、石垣跡、城門跡などが確認されています。
山頂部にある本丸主郭には櫓(天守とも)の礎石などが残されています。

駐車場は城の北側山麓と国道307号の走る南西麓の2ヶ所あり、山上へと登山道的な歩道が続いています。
城の玄関である大手は南側になります。

水口岡山城跡

本丸に鎮座する阿迦之宮

水口岡山城跡

本丸石垣跡

水口岡山城跡 DATA

名称 水口岡山城跡/みなくちおかやまじょうあと
Minakuchi Okayamajo Castle
所在地 滋賀県甲賀市水口町水口
関連HP 甲賀市公式ホームページ
電車・バスで 近江鉄道水口石橋駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路栗東ICから約18km
駐車場 あり
問い合わせ 甲賀市歴史文化財課TEL:0748-69-2250/FAX:0748-69-2293
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

甲賀流忍術屋敷

2018.02.11
 

 

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