湖山池
鳥取市街の西にある周囲16km、面積6.8平方キロメートルの汽水湖で、「日本最大の池」。最深部でも7mしかなく、それが池といわれるゆえん。かつては大きな入江でしたが、砂州が伸びて海と分断されました。池には青島、津生島、団…
鳥取市街の西にある周囲16km、面積6.8平方キロメートルの汽水湖で、「日本最大の池」。最深部でも7mしかなく、それが池といわれるゆえん。かつては大きな入江でしたが、砂州が伸びて海と分断されました。池には青島、津生島、団…
鳥取県東部を流れる千代川河口の東西に発達した海岸砂丘で、東西16km(西端は白兎海岸)、南北2.4kmに及ぶ日本最大級の砂丘。中国山脈から流れ出る千代川の土砂がやがて砂となり、北西の季節風で海岸に吹き上げられ、3万年の歳…
1580(天正8)年、羽柴秀吉の因幡平定の際に、陣を築いたと伝わるお城山(天秤山)に建つふるさと創生事業で築かれた模擬天守。1階〜3階は旧河原町を紹介する展示コーナー、最上階が展望台となっています。戦国時代には丸山城があ…
中海に臨む標高90.5mの湊山に築かれた近世の名城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期の1591(天正19)年に吉川広家(きっかわひろいえ)が月山の富田城から城を米子に移し四重櫓を建設したのが始まり。すでに中世的…
天文6年(1545年)、因幡国守護・山名誠通(やまなのぶみち)が千代川を見おろす標高263.0mの久松山(きゅうしょうざん)に築いた城が鳥取城。久松山は花崗岩からなる急峻な山で天然の要害でした。戦国時代には秀吉軍の過酷な…
日本最古級の壁画が出土したことで有名な上淀廃寺跡の近く、向山古墳群を整備した公園で、2つの丘陵に全長52mの岩屋古墳(向山1古墳)など前方後円墳など総数17基の古墳が点在する因幡国(いなばこく)の古代史ゾーン。5世紀後期…
鳥取市が市街の北東に位置する摩尼山(357m)は古くから亡くなった人の霊魂が集まる場所と信仰されていた場所。その摩尼山の西麓に834(承和元)年、円仁(慈覚大師)が創建した古刹が摩尼寺。摩尼山中には帝釈天(たいしゃくてん…
706(慶雲3)年、修験道の開祖である役行者が開山と伝えられる三朝町の古刹。849(嘉祥2)年、円仁(慈覚大師)が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置したので、天台宗の寺、三徳山三佛寺となりました。三徳山(みとくさ…
大山の北山腹、琴浦町にある標高615.6mの山。頂上は広く平坦で、東西と北は断崖になっており、とくに東側は高さ100mもの溶岩壁、屏風岩がそびえ立つ天然の要塞。切り立った岩場から、雄滝(おんたき)と雌滝(めんたき)に分か…
桝水高原と大山中腹の展望台とを結ぶ観光リフト。標高730mの桝水高原から、全長490m、標高差140mを6分30秒で結ぶ第3リフトをグリーンシーズンに観光リフトとして運転。ひざ掛け・傘の貸し出し、ペット同乗可能というリゾ…
大山の西麓に広がる高原が桝水高原(ますみずこうげん)。北壁が印象的な大山寺周辺、南壁が立ちはだかる鍵掛峠とは異なり、富士のような裾野を美しく広げる大山を間近に仰ぐことができる絶景の地です。昆虫や野鳥、植物の宝庫で、お花畑…
深田久弥の「日本百名山」のひとつに数えられ、美しい山容から「伯耆富士」(ほうきふじ)、「出雲富士」とも呼ばれています。白山火山帯に属するトロイデ型の複式火山。中国地方最高峰で、山頂は、弥山(1709.4m)、剣ヶ峰(最高…
千葉市の中央部に位置する青葉の森公園は、畜産試験場跡地に整備された公園。大正6年に設置された農商務省畜産試験場が前身で(昭和55年、つくば市に移転)、園内には「畜産試験研究発祥の地」碑も建てられています。53.7haとい…
千葉県千葉市美浜区の幕張新都心にある緑豊かな県立公園。総面積は67.9haで、AからGまで7つのブロックに分かれています。JR京葉線の海浜幕張駅から海岸まで、海浜公園内を歩いてアプローチすることができるので、ピクニックに…
谷津干潟(やつひがた)は、東京湾の最奥、千葉県習志野市に残された約40haの干潟。利根川放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、貴重な干潟が残されたのです。水鳥や貝、魚、カニなど多彩な生物が棲息。多く…
昔から「鋸山を越えると肌着が一枚いらない」といわれるほど南房総は暖かく、北国で雪の便りが聞かれるときでも安房地域は花でいっぱい。なかでも注目は鋸南町の江月水仙ロード(鋸南は鋸山の南の意)。開花時期は11月〜2月。出荷時期…
習志野市の海に突き出した埋め立て地の海岸部にあるのが茜浜緑地。その緑地の一部を緑道として活用しています。東京湾を一望にするビューポイントで、東側には幕張メッセの高層ビル群を眺望。
久留里市街の東に位置する標高140mほどの尾根筋を利用した山城で、戦国時代には上総に進出した里見氏の小田原北条氏に対する軍事拠点となった場所。最初の築城は、上総武田氏の祖・武田信長が1455(康正1)年に上総守護代に任ぜ…