東京商船大学1号館(東京海洋大学)
東京都江東区越中島2丁目、東京海洋大学越中島キャンパス内にある関東大震災後の昭和7年、東京商船学校1号館として建てられた建物が現存。東京高等商船学校時代には本館と呼ばれていた建物で、国の登録有形文化財になっています。
東京都江東区越中島2丁目、東京海洋大学越中島キャンパス内にある関東大震災後の昭和7年、東京商船学校1号館として建てられた建物が現存。東京高等商船学校時代には本館と呼ばれていた建物で、国の登録有形文化財になっています。
東京都江東区越中島2丁目、東京海洋大学越中島キャンパス内にある明治時代、東京商船学校内に築かれた天体観測所が、第一観測台。明治36年に建てられた赤レンガ建築の天文台で、2階建てのドーム建築。現存する日本最古のドーム屋根形…
京都府京都市左京区、平安神宮の西、観光バスが並ぶ岡崎公園駐車場バスコーナーの横にあるのが、京都守護職屋敷門。会津藩主、松平容保(まつだいらかたもり)が務めた京都守護職の上屋敷は、現在の京都府庁旧本館(京都府庁旧本庁舎)、…
京都府京都市上京区にある明治37年12月20日築、国の重要文化財に指定される庁舎が、京都府庁旧本庁舎。京都府技師・松室重光(まつむろしげみつ)の設計によるルネサンス様式の建築物で、庁舎内にある旧議場は現存する日本最古の議…
京都府京都市伏見区深草、西本願寺(浄土真宗本願寺派の本山)の一角に位置する龍谷大学。前身は江戸時代にできた浄土真宗本願寺派学寮で、大宮学舎(大宮キャンパス)にある明治12年築の美しい本館は必見。本館はもちろん、正門などを…
京都府京都市下京区西新屋敷、江戸時代、京都で唯一幕府公認の花街だった場所が、島原。幕末に再建された島原大門、島原遊廓の遺構も残され、美しい島原の町並みが現存。西郷隆盛、桂小五郎、坂本龍馬や新選組の隊士たちもここで遊んだと…
兵庫県淡路市黒谷にある弥生時代の集落遺跡が、五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)。発掘調査では23棟の竪穴建物跡が出土し、そのうち12棟で鉄器づくりが行なわれていたことが判明、100点を超える鉄製品、石製鍛冶工具類なども…
広島県呉市倉橋町、倉橋島の海岸沿いを走る広島県道286号(中大迫清田線)沿いにあるのが、特殊潜航艇基地大浦突撃隊大迫支隊跡。第2次世界大戦末期の特殊潜航艇基地の跡で、「蛟龍」(こうりゅう)と名付けられた特攻兵器甲標的丁型…
東京都渋谷区にある東京オリンピックの代々木選手村跡地に造成された54haもの広大な都立公園が、代々木公園。オランダ選手の宿舎として使用された建物1戸だけがオリンピック記念宿舎として保存されていますが、もともとは戦後のアメ…
東京都渋谷区にある代々木公園は、戦前は陸軍代々木練兵場だった場所。パノラマ広場近くにあるのが閲兵式の松で、天皇の隣席のもと陸軍の部隊が整列し、閲兵を受けた地のシンボル的な松になっています。当時、ゆかりの軍人たちもここで記…
広島県呉市、黒瀬川河口、阿賀港を眼下にする標高205mの山上に広がる大空山公園は、大空山砲台跡。日露戦争開戦の前年、明治36年、バルチック艦隊の迎撃などを想定し、築かれた砲台で上陸して背後から呉軍港を攻める敵軍から守備す…
東京都立川市、国営昭和記念公園にある昭和30年代の武蔵野の農村風景を再現した「こもれびの里」に移築された農家が、旧石井家住宅。江戸時代中期(18世紀後半)、多摩郡和泉村(幕末まで旗本松下領/現・狛江市)建てられた和泉村名…
奈良県宇陀市、芳野川沿いに建つ古社が、宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)。水分(みくまり)とは水配りが変化した言葉で、社伝によれば、崇神天皇の命により創建されたと伝えられます。現存する本殿は、元応2年(1320年)の築…
東京都府中市宮西町5丁目、府中市役所近くの甲州街道の交差点にあるのが、府中高札場。東京都下では蔵敷高札場(ぞうしきこうさつば/東大和市)と府中市の2ヶ所しかない高札場の跡。大國魂神社の社前を通る都道229号(府中調布線)…
東京都千代田区霞が関1丁目、東京の中心、国会議事堂と日比谷公園の間に建つ赤レンガ造りの建物が、法務省赤れんが棟(法務省旧本館)。明治政府が招聘したドイツ人建築家、ヘルマン・エンデとヴィルヘルム・ベックマンが基本設計をし、…
奈良県吉野郡吉野町、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)第75靡(なびき)・柳の宿(やなぎのしゅく)から吉野川を柳の渡し(六田の渡し)で渡ると六田の宿(むだのしゅく)。六田は、吉野山の登山口、さらには吉野川の舟運の川湊とし…
現在の奈良県吉野郡大淀町北六田と吉野町六田とを結んだ渡しが、柳の渡し。吉野町側では六田の渡し(むだのわたし)と呼び、吉野川の渡し船が吉野から熊野本宮へと至る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の起点となっていました。椿の渡…
現在の奈良県吉野郡吉野町六田と大淀町北六田を結んだ渡し場が、六田の渡し(むだのわたし=柳の渡し)。吉野から大峯山へと至る大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の起点となっていました。美吉野橋の吉野町側のたもと、六田の渡し場跡…