江戸川河畔、松戸市下矢切(やきり)と東京都葛飾区柴又(かつしかくしばまた)を結ぶ、江戸川の渡し船が矢切の渡しで、江戸時代には幕府公認の農民渡船でした。旧矢切村の農民は江戸川対岸に農地を持っている場合も多かったのです。伊藤左千夫(さちお)の小説、『野菊の墓』の舞台としても知られており、日本の音風景100選にも選定。
東京近郊に残る唯一の渡し船は、手漕ぎで運航
矢切の渡しの松戸側は、伊藤左千夫の最初の小説『野菊の墓』の舞台。
矢切の渡しは、15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子の最後の別れの場面となった場所でもあり、野菊の墓文学碑も立っています。
矢切の渡しは、『野菊の墓』の舞台と、柴又帝釈天(たいしゃくてん)を結ぶ観光ルートとして人気です。
船は今も木造りの和船(着水面だけをFRP加工した木船)で、船頭さんがのんびりと船を漕ぐ姿は、風情も満点。
170mほどの川幅を8分ほどで渡してくれます。
元和2年(1616年)、徳川幕府は、利根川水系の15ヶ所を渡船場として指定し、それ以外の場所での渡河を禁止します。
街道沿いに位置した金町・松戸の渡し(金町村と松戸村を結んだ)は渡船場に指定され関所が設けられています。
大坂夏の陣の翌年で江戸への防備を強化しようという政策がうかがえますが、これに困るのが対岸に農地のあった農民です。
それで特例として、幕府公認の農民渡船が運航されたというわけです。
江戸時代には幕府の直営でしたが、明治時代から杉浦家が世襲でこの渡し船を守り続けています。
3代目杉浦正雄さんは平成11年に初の松戸市民栄誉賞を受賞。
息子の杉浦勉さんは4代目、そのまた息子の尊さんは5代目となります。
なお、北総開発鉄道矢切駅構内には以前使われていた渡し舟が展示保存されています。
映画『男はつらいよ』のロケ地、細川たかしが歌ってヒットした『矢切の渡し』(やぎりのわたし/昭和51年、石本美由起作詞・船村徹作曲)の舞台でもあり、松戸側、柴又側の両側に『矢切の渡し』歌碑が立っています。
矢切の渡しの下流側、坂川の入口には柳原親水広場が整備され、「建造物の近代化に貢献した赤煉瓦生産などの歩みを物語る近代化産業遺産群」として近代化産業遺産に認定されるレンガ造りの水門、柳原水閘(やなぎはらすいこう)が現存しています。
矢切の渡し | |
名称 | 矢切の渡し/やきりのわたし |
所在地 | 千葉県松戸市下矢切1257 |
関連HP | 松戸市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 北総開発鉄道矢切駅から徒歩25分。または、JR松戸駅西口から京成バス市川駅行きで10分、下矢切下車、徒歩5分 |
ドライブで | 首都高速中央環状線四つ木ランプから約7.9km |
駐車場 | 矢切の渡し第2専用駐車場(15台/無料) |
問い合わせ | 矢切渡船 TEL:047-363-9357 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag