千葉県市川市中山2丁目にある日蓮宗大本山が、法華経寺(ほっけきょうじ)。山号は正中山(しょうちゅうざん)、所在地は中山で、中山法華経寺とも称されています。日蓮ゆかりの寺で、寺宝の日蓮書跡『観心本尊抄』、『立正安国論』は国宝、祖師堂、五重塔、法華堂、四足門は国の重要文化財に指定されています。
日蓮ゆかりの寺には重要文化財が多数
日蓮が最初に開いた「五勝具足の霊場」が、法華経寺。
五勝具足とは「授法の発初」、「精舎の最初」、「寺号の発軫(発心)」、「本尊仏像造立の最初」「説法権与の最初」の5種の縁起で、いずれもこの法華経寺の地が始まりです。
建長5年(1253年)、日蓮は、鎌倉・名越の松葉ヶ谷に草庵を構えて布教活動を開始しますが、南無妙法蓮華経の唱題のみを行なう「専修題目」を主張し(一切経の中で法華経が最勝の経典と理解)、浄土宗の開祖・法然の専修念仏(「南無阿弥陀仏」をひたすら称えるという教え)を強く否定するなど、浄土宗など他宗派を批判。
鎌倉幕府に提出の『立正安国論』も無視され、さらに文応元年(1260年)、松葉ヶ谷の草庵が襲撃されるという事件が生まれます。
これが有名な日蓮四法難で最初の「松葉ヶ谷の法難」ですが、日蓮は鎌倉を去り、下総国若宮(現・千葉県市川市)の領主・富木常忍と中山の領主・太田乗明に招かれて富木常忍館に移り、布教活動を再開します。
百日百座の説法を行ない、法華堂開堂供養会を営み、立像釈迦牟尼佛を安置しています。
文永元年(1264年)、母の病が重篤であることを聞き、故郷の安房国長狭郡東条郷(現・安房鴨川市)に戻った際に、東条郷の地頭・東条景信は日蓮を襲撃(小松原の法難)。
弟子が殺され、駆け付けた安房天津の領主・工藤吉隆(くどうよしたか=日蓮に帰依)も重傷(傷が原因で死去)、日蓮も頭に傷を受け、左手を骨折するという傷を負いますが、鬼子母神が現れ、一命を救ったといい、中山に避難後、鬼子母神像を開眼しています。
日蓮大聖人がはじめて説法を説いたとされる奥之院(日蓮が居住した富木館跡)、そして日蓮を祀る祖師堂(建造時の比翼入母屋形式に復元)、建立当時の姿を保った四足門、現存最古の日蓮宗本堂となる法華堂(室町時代後期の建築)、さらには江戸三鬼子母神(下谷・入谷鬼子母神真源寺、雑司ヶ谷の法明寺境外堂鬼子母神堂、法華経寺)のひとつにも数えられる鬼子母神堂など、日蓮にちなんだ数多くの文化財が残されています。
毎年11月1日〜2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂が開設されます(100日間におよぶ苦修錬行)。
この修行には毎年全国から100名の僧侶が挑戦し、12月6日からは、荒行僧から祈祷を受けることができます(荒行堂事務所に問い合わせを)。
また初詣(例年40万人ほどの人出があります)や『節分会』には大勢の参拝客で賑わいをみせます。
法華経寺 | |
名称 | 法華経寺/ほっけきょうじ |
所在地 | 千葉県市川市中山2-10-1 |
関連HP | 法華経寺公式ホームページ |
電車・バスで | 京成電鉄京成中山駅から徒歩5分、JR下総中山駅から徒歩10分 |
ドライブで | 京葉道路京葉市川IC・原木ICから約4km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 法華経寺 TEL:047-334-3433/FAX047-334-1796 |
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