東海道五十三次で最も「難読の宿場」は、池鯉鮒宿!

池鯉鮒宿

日本橋と京を結んだ東海道五十三次。里程124里8丁、487.8kmで、東海道本線の513.6kmよりも短いのは、名古屋(宮宿)〜京が、鈴鹿峠を越える短絡ルートのため。その東海道五十三次でもっとも難読な宿場名は、ダントツに池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)。現在の愛知県知立市にあった宿場です。

池に鯉や鮒が棲むという当て字で、池鯉鮒が誕生

池鯉鮒宿
知立神社

池鯉鮒宿と聞いて、愛知県民でもピンと来る人は少ないかもしれません。
愛知県内では名鉄の特急停車駅でもあるため、知立(ちりゅう)という名はポピュラーですが、県外の人にはこの知立という名も、設楽町(したらちょう)とともにツートップの難読自治体名です。

歴史的仮名遣いでは「ちりふ」。
江戸から京に向かって旅をすると、境川までが徳川家康を生んだ三河国(参河国)。
境川を渡ると、織田信長、豊臣秀吉を生んだ尾張国となりますが、三河国(参河国)最後の宿場が池鯉鮒宿です。

街道時代の町並みは失われていますが、旧東海道沿いに「将軍休泊用御殿跡」石碑の立つ知立古城跡があります。
知立古城は、桶狭間の戦いで落城し、江戸時代に将軍の休泊用の御殿が築かれていました。

宿場の中央に鎮座するのが鎮守の知立神社。
江戸時代には池鯉鮒大明神と称して東海道三社と称された古社で、三河国の二の宮にもなっています。
現在の行政は知立市ですが、もともとの地名は知立。

中世(鎌倉時代頃)、知立神社(別当は神宮寺)の御手洗池(みたらしいけ)に鯉や鮒が生息、殺生を禁じたことで智鯉鮒、さらに江戸時代、池鯉鮒という当て字が生まれたのだと推測されています。

この池鯉鮒宿には、今も伝わる名物があります。
そのひとつが藤田屋の「大あんまき」、もうひとつがきしめんのルーツといわれる「芋川うどん」(お隣の刈谷市芋川がルーツの平打ちうどん)です。
平打ちのうどんを「ひもかわうどん」と称するのは、この芋川うどんの転訛ともいわれています。
「芋川うどん」は、刈谷市一ツ木町の「きさん」で味わうことができます。

池鯉鮒宿
池鯉鮒宿名物、「藤田屋」の大あんまき
東海道五十三次で最も「難読の宿場」は、池鯉鮒宿!
名称 池鯉鮒宿/ちりゅうしゅく
所在地 愛知県知立市
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知立神社

知立神社

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