2月12日【今日は何の日?】

2月12日は『種の起源』を著したチャールズ・ロバート・ダーウィンの誕生日で、Darwin Day(ダーウィンの日)。冒険家・植村直己の誕生日でもあり、冬のマッキンリーに単独登頂に成功したのも今日(その翌日消息を絶っています)。ボンカレーが関西地区でのみ発売された日で、ボンカレーの日(レトルトカレーの日)にもなっています。

Darwin Day(ダーウィンの日)

『種の起源』を著したチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin)は、1809年2月12日、イングランドのシュロップシャー州シュルーズベリー生まれ。

2月12日生まれの有名人は?

ジャーナリスト・木村太郎、講談師・5代目一龍斎貞花、声優・石丸博也、漫画家・井出智香恵、歌手・伊丹幸雄、歌手・岡田奈々、タレント・梶原真弓、アナウンサー・下平さやか、お笑い芸人(髭男爵)・樋口真一郎、お笑い芸人(ガリットチュウ)・熊谷岳大、歌手・荒井健一、女優のクリスティーナ・リッチ(Christina Ricci)、騎手・鈴来直人、モデル・我謝レイラニ、タレント・田野アサミ、女優・榮倉奈々、タレント・内田莉紗ほか。

2月12日生まれの誕生花は?

狐の孫(きつねのまご)、連翹(れんぎょう)、アイスランドポピー

植村直己誕生日・マッキンリー冬期単独登頂

登山家で探検家の植村直己は、昭和16年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現豊岡市)生まれ。
同郷の加藤文太郎(かとうぶんたろう)に憧れ、登山を始め、明治大学山岳部に入部。
その後、世界初の五大陸最高峰登頂者となります。

昭和59年2月12日、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂。
その翌日の交信を最後に消息を絶ちました(忌日は2月13日になっています)。
故郷である豊岡市日高町の神鍋高原に植村直己冒険館があります。

夏のマッキンリー(6190m)。北アメリカ最高峰で現在はデナリ(Denali)と呼ばれています
植村直己冒険館

植村直己冒険館

2018年2月2日

ボンカレーの日(レトルトカレーの日)

米国のパッケージ専門誌『モダン・パッケージ』の「US Army Natick Lab」に掲載された記事(缶詰に代わる軍用の携帯食としてソーセージを真空パック)をヒントに、「「一人前入りで、お湯で温めるだけで食べられるカレー、誰でも失敗しないカレー」の開発が進められ、誕生したのが世界初の市販用レトルトカレー「ボンカレー」。

昭和43年2月12日に阪神地区のみで発売。「常温で長期保存が可能であること」「保存料を使わないこと」という画期的な商品でした。

素うどん50~60円の時代に、ボンカレーは1個80円。高すぎるというのが消費者の反応で、宣伝用に女優の松山容子さんがボンカレーをもったホーロー看板を製作し、全国に9万5000枚が取りつけられました。

ブラジャーの日

1913年のこの日、アメリカ人女性マリー・フェルブ・ジャコブ(Mary Phelps Jacob/Caresse Crosby=カレス・クロスビーとして有名)が、ハンカチをリボンで結んだブラジャーの原型となる特許を取得。ワコールが制定。
カレス・クロスビーが考案した現在のブラジャーに近いタイプのブラジャーは、特許を得ることに成功しましたが、製品化に失敗。アメリカのワーナーブラザーズ社に特許を売却しています。

黄ニラ記念日

「にっこり(2月)いいニラ(12日)」の語呂合わせから、岡山県の特産である黄ニラを、より多くの人にアピールしようと全国農業協同組合連合会岡山県本部(JA全農おかやま)が制定。

ペニシリンの日

1928年にイギリスのアレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming)によって発見された抗生物質、ペニシリン(Penicillin)。ナチスの台頭により英国に移住したドイツ系ユダヤ人の生化学者E.チェーンと、オックスフォード大学病理学研究所長H.フローリーは、米国ロックフェラー財団の資金援助を受け、動物実験に成功。

その後、アメリカに渡り、1941年2月12日、ブドウ球菌と連鎖球菌に感染したAlbert Alexander(43才の警察官)にペニシリン200mg投与しあと3時間毎100mgずつ投与。24時間以内に患者の状態は劇的に改善しました。
これが世界で初めてペニシリンの臨床実験です。残念ながらこの患者は肺感染が再発し3月15日に死亡しています。

リンカーン誕生日

アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は1809年2月12日生まれ。

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菜の花忌(司馬遼太郎忌)

司馬遼太郎は平成8年2月12日没。好きだった菜の花に因んで「菜の花忌」と呼ばれています。本名は福田定一。ペンネームの由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(ゆえに太郎)」。
墓所は京都市東山区の京都大谷本廟。
太平洋戦争末期に司馬遼太郎が戦車連隊の小隊長として駐屯した地、佐野市でも毎年2月12日に『菜の花忌』が行なわれ、植野地区公民館の「司馬遼太郎文学碑」に菜の花が手向けられます。
終戦間近、司馬遼太郎は、植野国民学校に駐屯し、玉音放送を植野国民学校の裁縫室で聞いています。

大谷本廟

大谷本廟

2018年2月2日

徳川家康征夷大将軍に

慶長8年2月12日(1603年3月24日)、後陽成天皇が参議・勧修寺光豊を勅使として伏見城に派遣。
朝廷より六種八通の宣旨が下り、徳川家康を征夷大将軍に任命しました。
名実ともに徳川幕府の始まりです。

徳川慶喜寛永寺大慈院で謹慎

慶応3年12月9日に王政復古の大号令が発令、討幕派勢力は摂政・関白や幕府・所司代の制度を廃止し、総裁・議定・参与の三職をおいて新政府を組織。さらに徳川慶喜に辞官・納地を要求しました。

幕府を守ろうとする会津・桑名両藩は薩摩藩との決戦を主張しますが、徳川慶喜は戦乱を回避するために大坂城に退きます。その後、新政府側の挑発などもあり、慶応4年1月3日、戊辰戦争が勃発。

2月12日、徳川慶喜は江戸城を出て上野寛永寺大慈院に入り、謹慎します。
大慈院は、現在の根本中堂の建つ場所にあった塔頭(たっちゅう=支院)です。

大坂城退去・東帰の時の随行者は,元京都守護職松平容保(会津)、元京都所司代松平定敬、老中板倉勝静、老中酒井忠惇、大目付戸川忠愛、外国総奉行山口直毅、目付榎本道章、医師戸塚文海ら数名と開陽艦副長沢太郎左衛門。
江戸城から上野寛永寺大慈院に移動の際の随行者は、平岡丹波守・浅野美作守でした。

寛永寺根本中堂

寛永寺根本中堂

2018年2月1日

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プレスマンユニオン編集部

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