江戸城の玄関口、江戸五口とは!?

東海道に通じる桜田門(小田原口)、奥州街道に通じる大手門(大手口)中山道の神田橋門(芝崎口)、上州街道の田安門(上州口)、甲州街道の半蔵門(甲州口)が江戸五口。外郭に設置された見附も虎ノ門見附、常盤橋門、筋違見附、牛込見附、四谷見附があり、入退城を監視していました。

桜田門・虎ノ門見附|東海道

寛永元年(1624年)完成の東海道に通じるルートの玄関口が、江戸城内郭(内堀に囲まれた区域)を守備する桜田門、外郭の虎ノ門見附(虎ノ門御門)です。
桜田門は現存し国の重要文化財に指定されていますが、虎ノ門見附は石垣の一部だけが現存しています。
現在も桜田門から直進する道は、国道1号。
そのまま進めば品川宿に通じています。

江戸城 桜田門(重要文化財)

江戸城の小田原口に1636(寛永13)年、外濠などを巡らせた江戸城総構(惣構=そうがまえ)の際に桝形門に改築したのが桜田門。1860(安政7)年、この桜田門の外で、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺事件が発生。これが映画

江戸城の玄関口、江戸五口とは!?

東海道に通じる桜田門(小田原口)、奥州街道に通じる大手門(大手口)中山道の神田橋門(芝崎口)、上州街道の田安門(上州口)、甲州街道の半蔵門(甲州口)が江戸五口。外郭に設置された見附も虎ノ門見附、常盤橋門、筋違見附、牛込見附、四谷見附があり、

大手門・常盤橋門|奥州街道

古くは浅草口・大手口とも呼ばれ、浅草を経て奥州街道(現在の国道4号)に通じる重要な場所。
正保3年(1646年)、奥州街道が完成で、その玄関口になったのが、内郭が大手門、外郭が常盤橋門です。
大手門は、入口側の高麗門のみ江戸時代の建築物が現存しています。
外郭の常盤橋門は、江戸城の外郭部分の正門ですが、石垣のみ現存。

江戸城大手門(皇居東御苑)

1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門。

常盤橋門跡

近世最大級の城郭を誇る江戸城ですが、雉子橋門を起点に時計回りに新たに開削した神田川(仙台濠)に至るまで、全長14kmの外濠を巡らせていました。常盤橋門は、江戸城外郭の正門にあたる重要な門で、石垣が現存し、国の史跡となっています。目下日本最高

神田橋門・筋違見附|中山道

中山道は元禄7年(1694年)完成。
芝崎口門・神田口門・大炊殿橋門とも称された神田橋門は、明治6年に撤去され、残念ながら現存していません。
現在の本郷通りにあったのが神田橋門で、神田橋と鎌倉橋の間に石垣の一部が残されています。
将軍が上野・寛永寺に参詣の際にはこの神田橋門を使っているため、警護も厳重だったとか。

外郭の筋違見附は、現在の昌平橋と万世橋の間に位置し、そこにあった橋が架け代わって万世橋となっています(明治5年、筋違見附門が取り壊され、余った石材を利用して初代の萬世橋が架橋)。
この筋違見附を渡った先で中山道に合流し、神田明神から本郷へと向かいました。
筋違見附の城内側には、明暦・天和の大火後、火除地を兼ねた広場が設けられ、八方に道が通じていたことから八ツ小路、八辻小路の名が付いていました。
『神田祭』の行列は、江戸城での将軍上覧の後、この筋違見附を出て、神田明神に戻る行程でした。

万世橋

万世橋

延宝4年(1676年)に架橋の筋違橋(すじかいばし)がルーツというのが神田川に架かる万世橋(まんせいばし)。江戸城三十六見附のひとつ、筋違見附門に付随する橋でしたが、明治5年、筋違見附門が取り壊され、余った石材を利用して初代の萬世橋(よろず

田安門・牛込見附|上州街道

太田道灌(おおたどうかん)築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州方面、北関東へと繋がっていましたが、江戸時代に五街道が整備されて以降は中山道本庄宿(埼玉県本庄市)から分岐して上州・藤岡宿(藤岡市)に至るルートなどが使われていました。
田安門、牛込見附を出て、神楽坂、高田馬場を経て中山道・板橋宿に至り、本庄宿を目指すことで、上州街道の入口としての機能を果たしていました。

江戸城 田安門(重要文化財/北の丸公園)

北の丸公園の日本武道館への入口に位置する門。太田道灌(おおたどうかん)築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州(現・群馬県)・北関東方面への街道の玄関口となっていました。江戸時代初期、江戸城の総構が完成した時代の門が奇跡的に

牛込見附

牛込見附跡

東京都千代田区、JR飯田橋駅横にあるのが、牛込見附跡(うしごめみつけあと)。江戸城三十六見附の遺構のひとつで、外濠に臨んで築かれた江戸城外郭門。田安門から神楽坂、高田馬場を通り、上州とを結ぶ上州道の関門(江戸五口のひとつ)という位置づけです

半蔵門・四谷見附|甲州街道

甲州街道は少し遅れて明和9年(1772年)の完成。
将軍家にもしもの時は、八王子を経て甲府城に逃げる脱出ルートだったともいわれ、服部半蔵ゆかりの半蔵門が内郭の門。
そして外郭が四谷見附で、まさに現在の甲州街道です。

半蔵門

半蔵門

東京都千代田区、皇居(江戸城)の西端、半蔵濠に面した門が半蔵門。東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅の駅名由来になった門ですが、どこに門があるのかを知らない人が大半。それもそのはずで、皇居の一部で皇宮警察が守備し、一般には半蔵濠の外側から橋越しに眺

四谷見附跡

江戸城三十六見附のひとつ。江戸城半蔵門から武蔵国国府(府中)をへて甲州(今の山梨県)に至る重要なルートの途上に築かれた枡形門。江戸城の外濠を築いた際に、門も築かれて防御を万全なものにしたのです。真田信之が築いたという外濠(真田濠)は埋め立て

江戸城の玄関口、江戸五口とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ