駅弁が消える日が来る!?

駅弁は、明治18年7月16日、当時の日本鉄道・宇都宮駅(栃木県)開業時に販売されたおにぎりが始まりというのが通説。令和7年で駅弁誕生140周年を迎えるという歴史ある食べ物ですが、コンビニ、駅ナカなどに押されて、食堂車・ビュッフェ同様に駅弁業界にも危機が押し寄せています。

令和7年で誕生140周年となった駅弁が苦境の時代に!

駅弁の歴史を紐解くと、宇都宮駅では、当時、東北へと鉄路を伸ばしていた日本鉄道からの要請で、「白木屋旅館」が梅干しに黒ゴマをかけたおにぎり2個にたくあん2切れを付けたものを販売したのが始まり。
当時の宇都宮駅周辺はまだまだ原野で、開業時の鉄道利用者は1日60人ほどだったとか。
それで駅弁の事業が成り立ったのかとも思えますが、「白木屋旅館」駅前支店は、「汽車弁当」を5銭で販売したのです。

折詰に入った駅弁は、明治23年、山陽鉄道の姫路駅で「まねき食品」が発売したものが最初といわれ、13種類のおかずを上折に、下折には白飯を入れ二重の折詰にして、12銭で販売。
この「まねき食品」は今も「元祖」幕の内駅弁などを販売しています。

戦前は、軍隊の利用などもあって弁当業者が駅弁製造に乗り出すケースもあり、軍隊の駐屯地の多い北関東は駅弁王国化していました。

駅弁の最盛期は、高度成長期、急行列車が普及して庶民が旅に出るようになった昭和40年代〜昭和50年代頃。
当時、国内には400社を超える駅弁業者があったのです。

400社以上あった駅弁業者は80社ほどに減少

「峠の釜飯」(峠の釜めし本舗おぎのや)

周遊券で地方に旅する際の楽しみといえば駅弁で、流通や冷蔵技術の発達していない当時はまだまだ未知の食材に溢れていました。
駅弁衰退のひとつのきっかけは、新幹線の開通です。
黒磯駅、小諸駅など新幹線駅ができない駅はもちろんのこと、新幹線駅でも乗車時間の短縮から、駅弁は苦境に立つことになったのです。

信越本線・横川駅の有名な「峠の釜飯」(峠の釜めし本舗おぎのや)は、駅弁だけでなくドライブイン販売にも力を入れ、危機を脱出しています。
それでもコンビニ、駅ナカなどに押され、全国の名物駅弁も数多くが消えていき、現在、駅弁を製造する業者は80社ほど、ピークの5分の1にまで減少しているのです。

崎陽軒のシウマイ弁当は、駅弁だけでなく空弁としても好評ですが、駅弁王国を自認した栃木県でも、今では宇都宮駅の「松廼家」(明治26年創業)を残すのみとなっているのです(白木屋、富貴堂は撤退)。

東海道新幹線の停車する米原駅の老舗駅弁「井筒屋」は、令和7年2月に駅弁事業から撤退。
東海道本線の全通を見越して、明治22年に駅弁を始めたという鉄道とともに歩んだ駅弁業者でしたが、「米原はもはや交通の要衝ではなくなった現在、構内営業者としての井筒屋の役割も十分に果たすことができ、業跡を残すことができたと思っております」というコメントとともに撤退したのです。

JR東日本は、「駅弁の推し活」としてグランプリを開くなど、駅弁文化の継承に力を入れていますが、苦境に立たされる駅弁業者は多いようで、徐々にバリエーションが減り、流通ルートが確保された人気のものだけが残るという時代がやってきそうです。
つまりは、地方の鉄道旅の楽しみのひとつだった、駅弁は、今や風前の灯火ということに。

こんな姿を見る機会も減ってきました
駅弁が消える日が来る!?
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