「さいはての100名城」はどこ!? 東端&北端は、北海道の根室半島に!

さいはての100名城

日本100名城、続日本100名城に選定される名城のうち、日本のさいはてに位置する城はどこでしょう。日本最東端・最北端の城はお城番号1番の根室半島チャシ跡群(北海道根室市)、そして最西端・最南端の城はお城番号100番の首里城(沖縄県那覇市)、アイヌの築いたチャシと琉球王府ということになります。

最東端・最北端|根室半島チャシ跡群

お城番号:1番
所在地:北海道根室市
築城年:
16世紀〜18世紀
築城者:
アイヌ民族
主な城主:
アイヌ民族
史跡:
国の史跡(アイヌ民族が構築した32ヶ所のチャシのうち24ヶ所が国の史跡に)
遺構:
壕、盛り土、土橋など
内容:北海道内でチャシは500ヶ所ほどあり、そのうち最東端の町・根室市には32ヶ所が確認されています(国の史跡に指定される24ヶ所が日本100名城の「根室半島チャシ跡群」)
海を臨む崖上に、半円形や方形の濠を巡らせた「面崖式」(めんがいしき)のチャシ跡が多く、見学できるように整備されているのは、ノツカマフ1号・2号チャシ跡とヲンネモトチャシ跡の2ヶ所のみです(ヒグマも出没するので、見学にあたっては注意が必要です)
備考:
アイヌ語のチャシ(chasi)は、柵囲いの意、戦闘時の砦(とりで)のほか、周辺の部族との談判(チャランケ)や祭祀を行なう場にもなっていました

ノツカマフ1・2号チャシ跡(根室半島チャシ跡群)

根室半島の根室海峡側、ノッカマップ岬の東端には根室半島チャシ跡群のひとつ、ノッカマフチャシ跡(ノッカマフ1号・2号チャシ跡)があります。根室半島の海沿いには16世紀〜18世紀にアイヌ民族が構築した32ヶ所のチャシが現存。そのうち24ヶ所が国

ヲンネモトチャシ跡(根室半島チャシ跡群)

根室半島には16世紀~18世紀にアイヌが構築した32ヶ所のチャシが残されています。そのうち24ヶ所が国指定史跡となり根室半島チャシ群として「日本100名城」に選定。つまりは日本最北で最東端の100名城というわけです。チャシは戦闘時の砦(とり

最西端・最南端:首里城

お城番号:100
所在地:沖縄県那覇市首里金城町1-2(首里城公園)
築城年:1429年
築城者:尚巴志
主な城主:歴代の琉球王
史跡:国の史跡
文化財:首里城正殿遺構、首里城正殿基壇の遺構は世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産
琉球王国(1429~1879年)の王宮だった首里城は、何度も焼失と再建を繰り返し、18世紀に再建された往時の首里城は、太平洋戦争の戦火で昭和20年に焼失
平成4年に国営の首里城公園として正殿などが復元整備(平成の復元)されましたが、令和元年の火災で正殿を含む9棟の建物が被災、令和8年秋頃に復元工事が完成する予定となっています
内容:琉球王国の中心で、那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた大きな城郭で、世界文化遺産にも登録
備考:首里城は王族が居住する「王宮」であるとともに、行政機関である「首里王府」にもなっていました

首里城

首里城

1879年に沖縄県が誕生するまで長期にわたり琉球王国の中心だった王宮が首里城(しゅりじょう)。那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた城内には、10ほどの御嶽(うたき=聖地)も残さ

「さいはての100名城」はどこ!? 東端&北端は、北海道の根室半島に!
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