大阪府下にある日本100名城選定の城は、国の特別史跡にもなっている大坂城、そして楠木正成ゆかりの千早城の2城。続日本100名城選定の芥川山城(あくたがわやまじょう)、飯盛山城(いいもりやまじょう)、岸和田城の3城を加えた中世から近世の5つの城が大阪五大名城ということに。
大坂城|日本100名城
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3-11(大阪城公園)
形態:輪郭式平城または平山城
築城年:豊臣時代=天正11年(1583年)、徳川時代=元和6年(1620年)〜寛永6年(1629年)
築城者:豊臣秀吉、徳川秀忠
主な城主:豊臣秀吉、豊臣秀頼、松平忠明、徳川時代は天領で大阪城代が城主
史跡:国の特別史跡
文化財:大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形は国の重要文化財
備考:日本三名城
一帯は大阪城公園として整備、「大阪城天守閣」は、鉄筋コンクリートの復興天守で昭和6年完成(国の登録有形文化財)、「日本の歴史公園100選」、「日本さくら名所100選」に選定
千早城|日本100名城
所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
形態:連郭式山城
築城年:元弘2年・正慶元年(1332年)
築城者:楠木正成
主な城主:楠木正成
史跡:国の史跡
文化財:曲輪、空濠のみ現存
備考:楠木七城のひとつで、赤坂城の詰めの城として千早城を築城、下赤坂城、上赤坂城、千早城の3城で鎌倉幕府軍と対峙、南北朝時代の元弘3年・正慶2年(1333年)、楠木正成が籠もる千早城にを鎌倉幕府軍が取り囲む千早城の戦いが勃発
芥川山城(あくたがわやまじょう)|続日本100名城
所在地:大阪府高槻市原
形態:連郭式山城
築城年:永正12年(1515年)頃
築城者:能勢頼則
主な城主:細川晴元(芥川山城を拠点に室町幕府34代管領に就任、晴元政権を確立)、三好長慶、和田惟政
史跡:国の史跡(芥川城跡)
文化財:曲輪、堀切、石垣、土塁などが現存するのみ
備考:西国から京への入口に位置し、守りやすく、攻めにくい要害
織田信長から芥川山城を与えられた和田惟政は、居城を平地の高槻城に移して廃城に
飯盛山城(いいもりやまじょう)|続日本100名城
所在地:大阪府大東市・四條畷市
形態:山城
築城年:天文年間(1532年〜1555年)
築城者:畠山義堯(はたけやまよしたか)
主な城主:木沢長政、三好長慶(足利幕府の弱体化を背景に、細川政権を崩壊させ、三好政権を樹立=織田信長以前の天下人)、三好義継、畠山秋高
史跡:国の史跡
文化財:石垣、竪堀、井戸跡などが現存するのみ
備考:遊佐信教の謀反を織田信長が鎮圧して廃城に
岸和田城|続日本100名城
所在地:大阪府岸和田市岸城町9-1
形態:輪郭式平城
築城年:建武元年(1334年)、近世城郭=天正15年(1587年)
築城者:楠正成、小出秀政(豊臣秀吉の命で近世城郭を築城)
主な城主:小出秀政、岡部宣勝
史跡:大阪府史跡・名勝(本丸庭園)
文化財:石垣、堀のみ現存
備考:楠正成が和田高家(にぎたたかいえ=楠木正季の三男、楠木正成の甥)に命じ、岸と呼ばれていた地に城を築城、その後「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」の地名の起こりに
本丸および二の丸一帯の4.9haは千亀利公園として整備
現存する天守は外観復興天守(昭和29年築)
大阪五大名城とは!? | |
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