佐賀県五大名城とは!?

佐賀県五大名城

豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城(唐津市)、弥生時代の環濠集落・吉野ヶ里(吉野ヶ里町)、佐賀藩の藩庁・佐賀城(佐賀市)が日本100名城、古代の朝鮮式山城の基肄城(きいじょう/基山町)、唐津藩の藩庁・唐津城(唐津市)が続日本100名城で、この5城が佐賀県五大名城といえるでしょう。

名護屋城|日本100名城

所在地:佐賀県唐津市鎮西町名護屋
築城年:天正19年(1591年)
築城者:豊臣秀吉
主な城主:豊臣秀吉
史跡:国の特別史跡=生駒親正、上杉景勝、片桐且元、加藤清正、加藤嘉明、木下利房、木下延俊、木村重隆、九鬼嘉隆、黒田長政、小西行長、島津義弘、伊達政宗、徳川家康、豊臣秀保、鍋島直茂、長谷川秀一、福島正則、古田織部、堀秀治、前田利家、毛利秀頼の陣跡と徳川家康別陣跡
遺構:石垣の一部が現存
備考:豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために築城
縄張りを黒田孝高(黒田官兵衛)、そして普請奉行を黒田長政(黒田孝高の子)、加藤清正、小西行長、寺沢広高らが担っています
往時には、本丸、二の丸、三の丸、山里丸などを配し、本丸北西隅に望楼型5重7階の天守がそびえていました
天然の良港である名護屋の港を控え、当時としては大坂城に次ぐ規模の城郭(20万以上の兵が名護屋城から朝鮮に渡り、名護屋城にも10万の兵が常駐)

名護屋城

名護屋城

豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするために肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城の達人といわれた加藤清正などの諸将に築かせた城が名護屋城(なごやじょう)。松浦党・波多親(はたちかし)の家臣、名護屋経述(なごやつねのぶ=広沢

吉野ヶ里(吉野ヶ里歴史公園)|日本100名城

所在地:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
築城年:弥生時代
築城者:古代の豪族
主な城主:不明
史跡:国の特別史跡
遺構:高床建物跡、竪穴住居跡など
備考:弥生時代後期の環壕(かんごう)集落としては日本一の規模で、「ムラ」が誕生し、「クニ」へと発展する過程で、戦争が絶えなかったためか3重の壕を巡らしています
3重の壕を巡らした巨大集落は日本における城のルーツということで、日本100名城に選定

吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)

吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)

弥生時代後期の環壕(かんごう)集落としては日本一の規模をもち、国の特別史跡にも指定されているのが佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)。現在、遺跡一帯は国営吉野ヶ里歴史公園として整備されています。3重の壕を巡らした巨大集落

佐賀城|日本100名城

所在地:佐賀県佐賀市城内2-13
築城年:近世城郭=完成年は慶長16年(1611年)
築城者:鍋島勝茂(なべしまかつしげ)
主な城主:鍋島勝茂(なべしまかつしげ)、鍋島治茂(なべしまはるしげ)、鍋島直正(なべしまなおまさ)
史跡:佐賀県の史跡
文化財:正門である鯱の門(しゃちのもん)は国の重要文化財
備考:佐賀藩の藩庁
5層(外観4重)の天守を有する近代城郭で、亀甲城とも呼ばれる名城でしたが、明治7年の佐賀の乱で大半を焼失
平成16年に復元された本丸御殿は、「佐賀城本丸歴史館」に(藩主の居間「御座間」のみ現存)

佐賀城

佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来佐賀藩鍋島氏36万石

基肄城(きいじょう)|続日本100名城

所在地:佐賀県三養基郡基山町小倉
築城年:天智天皇4年(665年)
築城者:ヤマト王権
主な城主:不明
史跡:国の特別史跡
遺構:石塁、水門跡など
備考:天智天皇2年(663年)の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)後、福岡県にある大野城(おおののき)、水城(みずき)とともに、新羅・唐連合軍の侵攻に備えて大宰府の守りを固めるために築城された古代の山城
朝鮮式山城としては日本最古のもの

基肄城

基肄城

佐賀県三養基郡基山町(福岡県筑紫野市との境)、標高405mの基山(きざん)にある古代山城が、基肄城(きいじょう)。天智天皇2年(663年)の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)後、福岡県にある大野城(おおののき)、水城(みずき)とともに築

唐津城|続日本100名城

所在地:佐賀県唐津市東城内8-1
築城年:慶長7年(1602年)から7年の歳月をかけ完成
築城者:寺沢広高(てらざわひろたか)
主な城主:寺沢広高、寺沢堅高(てらざわかたたか)
史跡:唐津市の史跡
遺構:石垣、堀など
備考:松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満島山に縄張りされた平山城
満島山の山上に本丸が配され、西側に二の丸、三の丸が配された連郭式の城
模擬天守は、昭和41年に建築されたもので内部は貴重な資料や武具などを展示するミュージアムに

唐津城

唐津城は、初代唐津藩主の寺沢広高(てらざわひろたか)が、1602(慶長7)年から7年の歳月をかけて築城。豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれ、すでに廃城となっていた名護屋城の遺材を使用したとも伝えられます。松浦川が唐津湾に注ぐ河口の左岸、満

佐賀県五大名城とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
福岡県五大名城

福岡県五大名城とは!?

福岡県では、福岡藩の藩庁だった福岡城と、ヤマト王権が築いた古代山城の大野城(おおののき)が日本100名城、小倉藩の藩庁だった小倉城、古代山城の水城(みずき)、久留米藩藩庁の久留米城が続日本100名城に選定。以上の5城が、福岡県五大名城といえ

熊本県四大名城

熊本県四大名城とは!?

熊本県(肥後国)には藩政時代に熊本藩、人吉藩があり(天草は天領)、その藩庁の熊本城(熊本市)、人吉城(人吉市)が日本100名城に選定。熊本藩は特例で、支城として八代城が許され八代城(八代市)と、古代の朝鮮式山城である鞠智城(くくちのき)が続

長崎県五大名城

長崎県五大名城とは!?

長崎県にある名城は、松浦氏(平戸藩主)の居城・平戸城(平戸市)、島原藩の藩庁・島原城(島原市)が日本100名城、対馬に築かれた古代山城・金田城(かなたのき/対馬市)、幕末に福江藩が築いた福江城(五島市)、世界遺産の原城(南島原市)が続日本1

宮崎県三大名城

宮崎県三大名城とは!?

宮崎県内で日本100名城に選定されるのは、日南市の飫肥城(おびじょう)のみで、続日本100名城が延岡市の延岡城と宮崎市の佐土原城。それぞれ、藩政時代の飫肥藩、延岡藩、佐土原藩の藩庁で、以上が宮崎県三大名城といえるでしょう。残念ながら高鍋藩の

鹿児島県三大名城

鹿児島県三大名城とは!?

薩摩藩は兵農分離を行なわず、外城制(とじょうせい)という中世的な制度で支配していました。藩庁となった鹿児島城が日本100名城、シラス台地に築かれた中世の山城の志布志城と知覧城が続日本100名城に選定。以上の3城が鹿児島県三大名城といえる城で

大分県六大名城

大分県六大名城とは!?

大分県内で日本100名城に選定されるのは、大分府内城(大分市)、岡城(竹田市)の2城、続日本100名城に選定が中津城(中津市)、角牟礼城(つのむれじょう/玖珠町)、臼杵城(うすきじょう/臼杵市)、佐伯城(さいきじょう/佐伯市)で、以上が大分

日本100名城 九州・沖縄16城

九州・沖縄は16城が日本100名城に選定。日本三名城に数えられる熊本城が有名ですが、古代に築かれた大野城(おおののき)、秀吉の朝鮮出兵の拠点となった名護屋城、そして世界遺産となった沖縄の城(グスク)など、大陸との緊張関係や交流、キリスト教の

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ