眼下を流れる錦川を天然の外堀にする岩国城(岩国市)、幕末を除いて長州藩の藩庁で、世界文化遺産の構成資産にもなっている萩城(萩市)が日本100名城選定、そして大内文化を今に伝える山口市の大内氏館・高嶺城が続日本100名城に選定されています。以上の4城が山口県四大名城といえるでしょう。
岩国城|日本100名城
所在地:山口県岩国市横山2
築城年:慶長13年(1608年)
築城者:吉川広家(きっかわひろいえ=吉川元春の子)
主な城主:吉川広家
史跡:なし
遺構:石垣、水堀、空堀などが現存
備考:元和の一国一城令で元和元年(1615年)に廃城に
山麓の御土居跡は、吉香公園として整備され、山上とは岩国城ロープウェーで直結
現在の天守は、昭和37年に建てられた復興天守
萩城|日本100名城
所在地:山口県萩市堀内2区城内1-1
築城年:慶長9年(1604年)〜慶長13年(1608年)
築城者:毛利輝元(もうりてるもと)
主な城主:毛利輝元、歴代長州藩主
史跡:国の史跡
城下町の「堀内地区」(重要伝統的建造物群保存地区)とともに、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産
遺構:土塁、石垣、堀など
備考:海に突き出すようにそびえる指月山(しづきやま/標高145m)の山頂と山麓に築かれた城で、指月山の山麓(南東麓)の平城部分が、日常の生活、政務の場
幕末まで長州藩(萩藩)の拠点として機能、文久3年(1863年)に山口城(山口市)に藩庁を移転
大内氏館|続日本100名城
所在地:山口県山口市大殿大路119/龍福寺
築城年:正平15年・延文5年(1360年)
築城者:大内弘世(おおうちひろよ)
主な城主:大内弘世、大内義弘(おおうちよしひろ)、大内持世(おおうちもちよ)、大内教弘(おおうちのりひろ)、大内政弘(おおうちまさひろ)、大内義興(おおうちよしおき)
史跡:大内氏遺跡 附(つけたり)凌雲寺跡として国の史跡
遺構:庭園、石組溝など
備考:200年にわたり、西日本の政治、経済の中心地だった館で、大内文化が花開いた「西の京」の中心地
現在では龍福寺境内などで(室町時代築の龍福寺本堂は国の重要文化財)、発掘調査により庭園跡も発見、西門を復元
高嶺城(こうのみねじょう)|続日本100名城
所在地:山口県山口市上宇野令高嶺
築城年:弘治3年(1557年)
築城者:大内義長(おおうちよしなが)
主な城主:大内義長、市川経好(いちかわつねよし=吉川経世の嫡男)
史跡:大内氏遺跡 附(つけたり)凌雲寺跡として国の史跡
遺構:石垣、郭、井戸跡などが現存
備考:標高338mの鴻ノ峰に築かれた戦国時代の山城
大内氏館の詰城(最後の砦)として築城しますが、大内家の終焉を迎えた城にもなっています
元和元年(1615年)の元和一国一城令で廃城
山口県四大名城とは!? | |
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