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舞鶴公園

舞鶴公園

福岡県福岡市中央区、国の史跡となっている福岡城跡を中心とした39.3haの広大な都市公園が舞鶴公園。昭和23年に開園し、敷地のなかに鴻臚館跡展示館、福岡城むかし探訪館、平和台陸上競技場、球技場、テニス場、芝生広場があります。春の桜(『福岡城さくらまつり』開催)、5月下旬〜6月下旬の花菖蒲は有名。

福岡城の本丸、二の丸、三の丸一帯が公園に

明治維新後の廃藩置県で、明治4年には福岡県庁が置かれた福岡城跡。
その後、明治9年、天神に県庁が移転し、福岡城跡は陸軍第12師団歩兵第24連隊の駐屯地になり、終戦を迎えています。
戦後、昭和23年に舞鶴公園として開園、陸軍施設跡地には平和台陸上競技場(昭和23年開催『第3回国民体育大会』メイン会場)、平和台野球場(昭和24年開場、西鉄ライオンズなどの本拠地)などが築かれましたが、平和台球場は平成9年に老朽化、遺跡の発見などを理由に廃止されています。

平和台野球場跡地とその周辺からは、平安時代に設置された外交使節である「鴻臚館」の跡が発見され、発掘調査が終了した場所に「鴻臚館跡展示館」が建てられています(円形の鴻臚館が平和台野球場の跡です)。
福岡城三の丸跡にある牡丹・芍薬苑は、黒田官兵衛(黒田如水)が晩年を過ごした黒田如水隠居地・三ノ丸御鷹屋敷跡です。
公園の南側にある福岡城南丸多聞櫓は、福岡城の47にもおよぶ櫓のうち、昔ながらの場所に現存する唯一の櫓で、国の重要文化財に指定されています。

歴史公園として整備が進む舞鶴公園には、ソメイヨシノ、シダレザクラ、ヤエザクラなど1000本が植栽され、春は桜の名所として有名。
展望台となっている大天守台からは、桜が絨毯のように広がる絶景を得ることができるほか、『福岡城さくらまつり』期間中、城壁と桜のライトアップも実施。

桜のほか春を告げる梅(梅園を本丸跡から眼下に、石垣と梅は被写体にも人気です)、ボタン、シャクヤク(牡丹・芍薬苑/三の丸広場横)、フジ(藤園/平和台陸上競技場の西)、ツツジ(つつじ園/天守台の西)、ハス(明治通り沿いの外濠)などの花見も楽しめ、5月下旬〜6月下旬には福岡城南丸多聞櫓近くの花菖蒲園で花菖蒲が咲き誇ります。

隣接して、西側には福岡城の外濠を利用した大濠池を中心とした大濠公園、大濠池の南岸に福岡市美術館があり、池を周回する散策路、ジョギングコースも設けられています。

画像協力/福岡市

舞鶴公園
名称 舞鶴公園/まいづるこうえん
所在地 福岡県福岡市中央区城内
関連HP 舞鶴公園公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄空港線赤坂駅または大壕公園駅から徒歩8分。天神バスセンターから西鉄バス西浜・姪ノ浜行きで4分、大手門下車、徒歩2分
ドライブで 福岡都市高速西公園ランプから約2.4km。または、天神北ランプから約2.6kmで舞鶴公園第1駐車場
駐車場 舞鶴公園第1駐車場(69台/有料)・舞鶴公園第2駐車場(72台/有料)・舞鶴公園第3駐車場(28台/有料)
問い合わせ 舞鶴公園公園管理事務所 TEL:092-781-2153
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

福岡城

関ヶ原の合戦の戦功により、筑前52万石の領主となった初代福岡藩主・黒田長政が、1601(慶長6)年から7年がかりで築城した城が福岡城。一説には豊臣秀吉の文禄・慶長の役で2回にわたって攻防戦を繰り広げた韓国・晋州城(チンジュソン・現在の晋州市

福岡城・天守台

築城当初のわずかな間だけあったとされるのが福岡城の天守台。大天守台は東西25m、南北22mという巨大なもので、東側に中天守台と小天守台が連なっています。天守台周辺から瓦が発掘されていることから天守が建っていたことは確実ですが、正保の城絵図に

福岡城むかし探訪館

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鴻臚館跡展示館

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福岡城・南丸多聞櫓

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福岡城・祈念櫓

福岡城に現存する貴重な櫓(やぐら)のひとつ。本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたため祈念櫓という名前がついています。多くの城では、丑寅櫓(うしとらやぐら)と称しているものです。棟札から幕末の1860(万延元)年3月に起工し、同

福岡城・潮見櫓

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福岡城・下之橋御門(大手門)

福岡城の三の丸の外側にある堀には西側に下之橋、東側に上之橋、さらに追廻橋という3つの橋が架けられていました。西側の下之橋が大手(玄関口)で、東側が搦手(からめて=裏口)です。ともに堅牢な枡形門。下之橋御門(大手門)は、平成12年8月の不審火

西公園

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名島門

福岡県福岡市中央区、福岡城の城跡でもある舞鶴公園内に移築された門が名島門(なじまもん)。天文年間(1532年~1555年)、博多湾の東部、多々良川の河口に築かれた名島城(現・福岡市東区名島)の城門で、度重なる移築の後、戦後に舞鶴公園内に移築

 

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