特別史跡水城跡土塁断面ひろば

特別史跡水城跡土塁断面ひろば

福岡県大野城市・大宰府市にまたがる、特別史跡水城跡(とくべつしせきみずきあと)。7世紀に唐・新羅の侵攻に対する大宰府防衛線として築造された土塁で、百済の技術者の指導により築かれたという土塁の断面を陶板で再現し、展示・公開する施設です。JR水城駅のすぐ東側で、アクセスも便利。

7世紀に築かれた長大な土塁の断面を陶板で表示

特別史跡水城跡土塁断面ひろば
土塁の断面を精巧な陶板で質感までも再現

天智2年8月(663年10月)、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で、百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍は、唐・新羅連合軍に敗北。
唐・新羅連合軍が九州、さらには瀬戸内海を東上して、畿内へと迫るのではないかと考え、その防御に、北部九州と瀬戸内海などに土塁を築いたのです。

太宰府市から大野城市にかけて築かれた大水城(おおみずき)と大水城西方の低い丘陵の谷あいに、大水城よりも比較的小規模な小水城(しょうみずき=春日市内の大土居水城跡、天神山水城跡など)が築かれています(全体が国の特別史跡)。

大水城は山と山の間を塞(ふさ)ぐように高さ10mもの土塁を、全長1.2kmにわたって構築。
さらにその土塁の内側と外側に、それぞれそれぞれ幅50m、60mの濠を配して、敵軍の侵入を阻止する構えでした。

土塁断面ひろばを整備したのは、福岡県教育委員会で、中央土塁の発掘調査を行ない、その成果をもとに土塁の保存を第一に、土層の質感を陶板で表して展示したもの。

現在では木々が茂り、グリーンベルトのようにもなっていますが、実際には7世紀に大土木工事によって構築されたことがよくわかります。

特別史跡水城跡土塁断面ひろば
名称 特別史跡水城跡土塁断面ひろば/とくべつしせきみずきあとどるいだんめんひろば
所在地 福岡県大野城市下大利3-2-9
電車・バスで JR水城駅から徒歩5分
ドライブで 九州自動車道太宰府ICから約3km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 太宰府市観光推進課 TEL:092-921-2121/FAX:092-921-1601
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

水城

百済(くだら)滅亡直後の663(天智天皇2)年、朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)に倭国軍を送り、唐・新羅連合軍と激戦となりますが敗戦。百済は滅亡し、倭国は、大陸からの脅威に怯えることとなります。そこで、664(天智天皇3)年に唐・新羅の攻撃

 

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