世界遺産「大宮・村山口登山道」と村山浅間神社

富士山に最初に登頂した人は、わかっていません。
富士登山が登拝という目的を持って始まったのは、平安時代の末。
最初にできた登山道が世界遺産にも登録の「大宮・村山口登山道」です。

末代上人が富士山頂に大日寺を建立

久安5年(1149年)、駿河国の末代上人が富士山頂に大日寺を建立し、如法経を埋経。
『浅間大菩薩縁起』によれば、垂髪(すいはつ=稚児)の時代から修験道(しげんどう)で栄えた伊豆・走湯山(そうとうさん=伊豆山神社の前身)に入って苦行を重ね、長承元年(1132年)4月19日、同志の頼然とともに富士山の登頂に成功。
山頂では、過去に登頂した金時上人、覧薩上人、日代上人らの遺品を発見したと記録されています。
この末代上人、4度目の富士登頂で山頂に仏具と不動明王を刻んだ鏡を奉納。
さらに富士山に登ること数百度と回を重ね、ついに久安5年(1149年)、山頂に大日寺を建立します。

修験道は、日本古来の山岳信仰と密教・道教(神仙思想)が習合したもので神仏習合思想のひとつ。
そして当時の神仏習合思想は、本地垂迹(ほんじすいじゃく)説。

八百万(やおよろず)の神々は、様々な仏様(菩薩も含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えです(神々は仏の化身というのが教え)。
つまり、それまで「赫夜姫(かぐやひめ)=浅間大神」と考えられてきた富士山を大日如来とし、富士山頂に仏の世界(または仏が神の形となって現れる場所)があるとしたのです。
末代上人の大日寺建立は、まさに「富士山=大日如来」とする考えの公布で、朝廷などにもこの思想は届いたのです。

富士参詣曼荼羅
江戸時代の「大宮・村山口登山道」を狩野元信印『富士参詣曼荼羅』(富士山本宮浅間大社蔵)で解説

修験と結びついた富士登拝の拠点が村山浅間神社

こうして、修験と結びついた宗教者による登拝が始まったのです。
末代上人が山麓の拠点にしたのが村山(富士宮市)で、ここを拠点に行われた富士山域の回峰行が「富士峰修行」。富士山腹から宝永山や愛鷹山、三島明神(三島大社)などを26日かけて巡ったと言います。

応永6年(1399年)6月25日の『寺領知行地注文』には、登山口である村山は走湯山領だったとされています。
伊豆と富士の修験者たちが一体となり、伊豆走湯山密厳院の末寺として村山口登山道と村山口一帯を管理したのです。
富士山中腹の木立堺(森林限界)には滝本往生寺(中宮大日)を建立しています。

富士山の村山修験の中心地だったのが、村山(富士山村山口)にあった富士山興法寺(ふじさんこうぼうじ)。
末代上人の創建とされますが定かでありません。
世界遺産の構成資産でもある村山浅間神社の社伝によれば、南北朝時代の富士山の修験者・頼尊(らいそん)が、村山の地に「富士根本宮」と称される浅間社を建立し、興法寺を総鎮守としたといい、南北朝時代にはすでに修験で隆盛していたことがわかります。
大日堂や村山浅間神社などにより構成され、大鏡坊(だいきょうぼう)、池西坊(ちせいぼう)、辻之坊(つじのぼう)の「村山三坊」によって管理されていました。
室町時代や江戸時代には名だたる武将の援助がありました。

【大日堂の再建と武将の援助】

今川義元ら今川氏が掟を発布し、富士参詣の道者の取締を実施。
天正8年(1580年) 武田勝頼が大日堂を再建。
天正11年(1583年)  徳川家康が大日堂、村山浅間神社を造営。
天正18年(1590年) 豊臣秀吉が朱印領432石2斗を安堵。
寛永18年(1642年) 徳川家光が朱印領216石1斗7升余を安堵。
元禄10年(1697年) 徳川綱吉が駿河国田中城城主太田資直を奉行とし、大風により大破した大日堂と村山浅間神社を再建。

村山浅間神社は、社伝によると孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ヶ岳に創建。
大宝元年(701年)に現在地へ遷座したと伝えられます。
村山浅間神社境内に現存する大日堂(旧富士山興法寺本堂)には市指定文化財の大日如来坐像・役行者椅像・不動尊像などがあり、周辺に水垢離場や護摩壇などが残されています。

富士根本宮と号した村山浅間神社
村山浅間神社
施設名 村山浅間神社/むらやませんげんじんじゃ
住所 静岡県富士宮市村山水神1151
関連HP 富士宮市公式ホームページ
ドライブで 新東名高速道路新富士ICから約13km
駐車場 8台/無料、スポーツビレッジ村山ジャンボ駐車場(70台/無料)も可能
問い合わせ 村山浅間神社案内所 TEL:0544-26-6713
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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