関ヶ原古戦場・島左近陣跡

大和国・筒井順慶に仕え後に豊臣秀長、次いで秀保に仕えた島左近。秀保の死後、石田三成は自分の石高の半分にあたる2万石をもって島左近を抱えます。関ヶ原の合戦でもその前日、9月14日に美濃国杭瀬川(杭瀬川の戦い)で中村一栄軍を撃破。関ヶ原では、石田三成が陣を構える笹尾山の山麓に陣を張り、田中吉政、黒田長政隊と奮戦。

勇猛果敢で知られた島左近の陣跡は笹尾山の麓に

「治部少(じぶしょう=石田三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」といわれるほどの逸材だったという島左近(島清興)。
智将といわれる島左近(島清興)。
関ヶ原の決戦では、島津義弘、小西行長らとともに石田三成に夜討を進言しましたが、三成はこれを聞き入れませんでした。
決戦地では家康の本隊に迫りますが、奪戦中、銃弾をうけて、戦死したといわれています(諸説あって定かでありません。京に潜伏したという説まであります)。

笹尾山は山麓に騎馬武者を防ぐ馬防柵と竹矢来(たけやらい=竹を縦・横に粗く組んでつくった囲い)を配しますが、勇猛で知られる島左近は竹矢来を背にして陣取るというかたち。

関ヶ原古戦場・島左近陣跡
名称関ヶ原古戦場・島左近陣跡/せきがはらこせんじょう・しまさこんじんあと
所在地岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原
関連HP関ヶ原観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR関ヶ原駅から徒歩15分
ドライブで名神高速道路関ヶ原ICから約2km
駐車場石田三成陣跡笹尾山駐車場(20台/無料)
問い合わせ関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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