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黒井峯遺跡

黒井峯遺跡

群馬県渋川市にある、古墳時代の榛名山噴火関連遺跡のひとつが黒井峯遺跡。吾妻川の河岸段丘上にある遺跡で、西南10kmほどのところにある榛名山二ツ岳の大爆発(6世紀初頭)で噴出した大量の軽石によって、短時間のうちに埋没した古墳時代後期の集落跡。「日本のポンペイ」もいえる遺跡です。

榛名山二ツ岳の噴火で埋まった1450年前の古墳時代集落跡

渋川市埋蔵文化財センターに展示される黒井峯遺跡出土の土器

榛名山二ツ岳の大爆発で噴出した軽石は、この地域一帯を覆いつくし、薄いところで50cm〜60cm、厚いところで2mも覆っています(爆発は2回あり、初めの噴火では火山灰を、二度目の噴火では大量の軽石を噴出)。
昭和57年に黒井峯遺跡が発見されたのも、軽石の採取から。
軽石層の下に古墳・竪穴住居が埋没していることが確認され、当時の子持村教育委員会が地中レーダー深査、トレンチ調査を実施し、110ヶ所もの竪穴住居跡を発見しています。
その後、昭和60年~62年に、広範囲に渡る調査が行なわれ、竪穴住居、平地住居、平地建物、庭状遺構、畠、道、柵列、祭祀跡などからなる古墳時代後期の集落が発掘されたのです。
しかも、人や馬の足跡まで残されていたため、災害直前(6月頃)のムラの景観、そして噴火にあった人々の行動が判明しています(いったん、避難した住民は、ここに戻って生活用具の一部を掘り起こしていますが、再び居住した形跡はありません)。

爆発によって軽石に覆われたため、建物の壁、崩れかけた屋根、柴垣、綱代垣が発見され、火山災害直前の古墳時代集落の姿が明らかになったことから、「日本のポンペイ」ともいわれています。

黒井峯遺跡から出土した土師器や須恵器は、渋川市埋蔵文化財センターに展示。

渋川市によれば、榛名山噴火関連遺跡は25ヶ所もあるとのこと。
同じ渋川市の中筋遺跡は、最初の噴火の火砕流と火山灰で埋まった遺跡(竪穴式住居4軒、平地式建物5棟、祭祀遺構、垣根、道、畠)。
金井東裏遺跡からは、「甲(よろい)を着た古墳人」が発掘されています。

黒井峯遺跡
名称 黒井峯遺跡/くろいみねいせき
所在地 群馬県渋川市北牧3-42
関連HP 渋川市公式ホームページ
ドライブで 関越自動車道渋川伊香保ICから約7km
問い合わせ 渋川市文化財保護課 TEL:0279-52-2102/FAX:0279-52-4008
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

金井東裏遺跡

群馬県渋川市金井にある金井遺跡群のひとつが金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)。平成24年から行なわれた調査で榛名山の爆発による火砕流に埋没した「甲を着た古墳人」(よろいをきたこふんじん)が発掘され(古墳時代の遺跡から、小札甲を纏った状態

中筋遺跡

群馬県渋川市にある、古墳時代の榛名山噴火関連遺跡のひとつが、中筋遺跡。6世紀初頭に噴火した榛名山二ツ岳の火砕流で被災し埋没した古墳時代の集落跡の遺構で、竪穴式住居4軒、平地式建物5棟、祭祀遺構、垣根、道、畠などが発掘され、「日本のポンペイ」

日本のポンペイ 5遺跡

日本のポンペイというと、これまでは群馬県吾妻郡嬬恋村の鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)が有名でしたが、近年、世界的にも注目されるのが榛名山噴火関連遺跡の25ヶ所。古墳時代に榛名山の噴火による火砕流と軽石に埋もれた遺跡で、その代表的な4ヶ所

【知られざるニッポン】vol.66 日本のポンペイは、渋川市にあった! 

古墳時代の6世紀初頭、榛名山二ツ岳の大爆発による火砕流と、軽石であっという間に埋没したのが、榛名山の山麓にあった25ヶ所の集落。古代の集落が、火砕流や降灰に埋没し、当時の生活が判明するというまさに「日本のポンペイ」ともいえる遺跡群、これまで

金井下新田遺跡

群馬県渋川市、金井遺跡群のひとつで、「甲を着た古墳人」が出土した金井東裏遺跡の南400mほどに位置する古墳時代の集落遺跡が、金井下新田遺跡(かないしもしんでんいせき)。6世紀初頭の榛名山噴火による堆積物の下から、5世紀後半の鍛冶遺構、土器集

中ノ峯古墳

群馬県渋川市北牧にある群馬県の史跡に指定される円墳が、中ノ峯古墳(なかのみねこふん)。直径9m、高さ1.95mという小さな古墳ですが、6世紀初頭の榛名山二ッ岳の噴火で、軽石に覆われ、盗掘を免れたために横穴式石室から人骨4体(成人3体・幼児1

 

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