『ガリバー旅行記』は、アイルランドの風刺作家、ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)が著した小説。小人の国・リリパット国(第一編)、巨人の王国(第二編)、天空の国・ラピュタ(第三編)は有名ですが、実はガリバーは鎖国時代の日本にも上陸。記述される日本の地名はどこなのでしょう?
ガリバーは日本の港町Xamoschi(ザモスキ)に上陸

『ガリバー旅行記』(『ガリヴァー旅行記』/『Gulliver’s Travels』)が出版されたのは、日本は鎖国時代の享保11年(1726年)。
単行本、絵本など、多くの翻訳本が日本にもありますが、正式な題名は、『船医から始まり後に複数の船の船長となったレミュエル・ガリバーによる、世界の諸僻地への旅行記四篇』 (”Travels into Several Remote Nations of the World, in Four Parts. By Lemuel Gulliver, First a Surgeon, and then a Captain of Several Ships”)という長いもの。
注目は、「世界の諸僻地への旅行記」である点で、実在しない王国とともに、唯一実在する日本が加わっているのですが、当時のヨーロッパ人からすると、遠い僻地のほとんど情報のない国ということがよくわかります。
全四編で、第三篇が『ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリッブおよび日本への渡航記』(『A Voyage to Laputa, Balnibarbi, Luggnagg, Glubbdubdrib, and Japan』)。
そのなかで、大きな島国であるラグナグ王国からガリバーは日本へと渡っているのです。
ラグナグ王国(Luggnagg)からはイギリスに戻る船便がなく、やむなく日本経由で戻ろうという考えです。
ラグナグを出航したガリバーは、15日の航海の後に日本の南東にある港町・Xamoschi(ザモスキ)に上陸、首府であるYedo(エド)で皇帝に謁見しています。
Xamoschi到着は、1709年5月27日、宝永6年4月18日ということになります。
5代将軍・徳川綱吉が死去したことで生類憐れみの令が廃止され、5月1日に徳川家宣に将軍宣下が下っていますが、正確に史実と照合すると、ガリバー上陸時点では幕府は将軍代行というかたちでした。
We landed at a small Port-Town called Xamoschi, situated on the South-East Part of Japan. The Town lies on the Western Part, where there is a narrow Streight, leading Northward into a long Arm of the Sea, upon the North-West Part of which, Yedo the Metropolis stands.
/『Gulliver’s Travels』
皇帝に謁見後、長崎からオランダ船で帰途につく

これを訳すと「小さな港町であるザモスキは、日本の南東に位置しています。狭い海峡が北の方へ向ってちょうど長い腕のように伸びていて、その西端に位置していますが、さらにその腕の北西に首府であるエド(江戸)がありました」となります。
「長い腕のように伸びる狭い海峡」は江戸湾(東京湾)であることは明らかです。
江戸から逆に考えるとザモスキは南東に位置することになるので、木更津あたりかとも推測できます。
旧国名でいう下総国(しもうさのくに)は、当時のポルトガル語でXimoʃa(Nicolas Sansonの世界地図帳)なので、Xamoschiに近い感じもあります。
神奈川県横須賀市は、XamoschiとKannonsakiの表記が似ている(Xa=Ka、 mo=nno、 schi=saki)ことから、観音崎にガリバーは上陸したのだとPRしています。
江戸で皇帝(将軍の誤り)に謁見したガリバーは、護衛付きでNangasacへと移動し(1709年6月9日、Nangasac到着)、オランダ船『アンポニア号』に乗ってアムステルダム経由でイギリスに帰国しています。
その際に、自分は商人ではないからと皇帝を説得し、踏み絵をするのを逃れてもいます。
当時、日本は鎖国体制で、長崎・出島が唯一の国際貿易港。
Nangasacが長崎であることは疑いようがありません。
I answered, (as I had before determined) that I was a Dutch Merchant, shipwrecked in a very remote Country, from whence I travelled by Sea and Land to Luggnagg, and then took Shipping for Japan, where I knew my Countrymen often traded, and with some of these I hoped to get an Opportunity of returning into Europe: I therefore most humbly entreated his Royal Favour to give Order, that I should be conducted in Safety to Nangasac.
/『Gulliver’s Travels』
こうしてガリバーは無事帰国を果たすことになりますが、当然、ジョナサン・スウィフトは日本に来ているはずもなく、伝聞などをまとめて、「遠い僻地のほとんど情報のない国」を記しているのです。
Xamoschi(ザモスキ)はスウィフトがつくった架空の地名かもしれませんが、首府・江戸(Yedo)、長崎(Nangasac)は、18世紀初頭のヨーロッパでも確認できる地名だったことがよくわかります。

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