琵琶湖の中に浮かぶ周囲2kmの孤島、竹生島(ちくぶしま/滋賀県長浜市)。湖中に山の頂だけが姿を表したような島に、宝厳寺、都久夫須麻神社が建ち、江戸時代には多くの参詣者を迎えた島でもあったのです。島は「神の棲む島」として昔から聖域として守られ、孤島に建つ寺社という絶景を生み出しています。
【絶景を読み解く】花崗岩とタブノキが「神の棲む島」を演出
竹生島は周囲2kmで(琵琶湖では沖島に次ぐ大きな島です)、最高地点は197.3m。
島全体が江若花崗岩(こうじゃくかこうがん)の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれています。
美濃帯を貫いて、東西10km、南北15kmにこの花崗岩層が続き、北側の葛籠尾崎(つづらおざき=縄文時代の湖底遺跡で有名)も同じ花崗岩体に位置しています。
島周辺の湖底は60m〜80mと深く、隠れた部分も切り立っていて、花崗岩の鋭鋒の山頂だけが湖上に姿を表しているのが、絶景のベース。
花崗岩の鋭鋒ですが、島全体がタブノキ林(クスノキ科の常緑広葉樹)や針葉樹で覆われ、そのなかに宝厳寺と都久夫須麻神社の堂宇・社殿が点在するという特異の景観を生み出しています。
タブノキは本来は暖温帯の海沿いの生育する照葉樹ですが、琵琶湖が生み出す擬似的な海洋性気象で、沿岸性樹木であるタブノキが内陸部で群落を形成しているのです(樹高130cm以上、直径5cm以上のタブノキ400本以上が成育)。
室町時代後期の『竹生島祭礼図』にもタブノキが描かれているので、島の原植生だと推測されています(滋賀県の天然記念物に指定)。
奈良時代以降、湖北エリアでは仏教信仰が広まり、仏教信仰を背景に、特異な景観の竹生島は神聖視されるようになったのです。
平安時代後期の承平元年(931年)に成立した『竹生島縁起』などでは、神亀元年(724年)、聖武天皇が夢告を受け、行基を勅使として竹生島に遣わし、大弁才天を祀って寺院(宝厳寺)を創建したと伝えています。
それ以前には浅井姫命(あざいひめのみこと)が鎮座し、水神として崇められていたともいわれ、古代から湖上交通(舟運)も守り神だったのかもしれません。
史書などから、竹生島における弁才天信仰は、平安時代中期には創始されていることが確認され、歴代の室町幕府将軍、織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、歴代の徳川将軍なども尊崇し、実際、織田信長、豊臣秀吉は参拝もしています。
島の名は「(神を)斎く(いつく)島」に由来し、その中の「いつくしま」が「つくぶすま」と変じ「竹生島」になりたとされ、「聖なる島」として大切にされてきたことがよくわかります。
江戸時代には江ノ島・宮島と並ぶ「日本三大弁天」に数えられた宇賀弁才天を参詣する多くの人で賑わいましたが、琵琶湖の湖上交通は、北陸(江戸時代には敦賀、小浜からの北前船と連絡)、東国への東山道(江戸時代には中山道)などとを結ぶ重要なルートだったので、今以上に交通の要衝だったことが想像できます。
竹生島へは琵琶湖汽船の「竹生島クルーズ」(今津航路、長浜航路、びわ湖横断航路)、彦根港を起点とする近江鉄道グループのオーミマリン「竹生島航路」で到達できます。
【空撮!ニッポンの絶景】竹生島|滋賀県 | |
所在地 | 滋賀県長浜市早崎町 |
場所 | 竹生島 |
電車・バスで | 長浜港から琵琶湖汽船で30分、今津港から琵琶湖汽船で25分、彦根港からオーミマリンで45分 |
ドライブで | 北陸自動車道路長浜ICから約5kmで長浜港。名神高速道路京都東ICから約54kmで今津港、彦根ICから約4.5kmで彦根港 |
駐車場 | 長浜港公共駐車場(30台/無料)、今津港琵琶湖汽船専用駐車場(40台/無料)、彦根港(50台/無料) |
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