兵庫県加古郡播磨町、弥生時代後期から古墳時代初頭の代表的な遺跡である大中遺跡(おおなかいせき)を中心とした史跡公園が、播磨大中古代の村(大中遺跡公園) 。全長500m、幅180mが公園として整備され、公園の中央を別府鉄道土山線の廃線跡「であいのみち」が通っています。
弥生時代後期、東播磨に現れた巨大な弥生のムラ
昭和37年6月24日、播磨町立播磨中学校の3人の生徒(浅原重利さん、大辻真一さん、大辻要二さん)が発見した大中遺跡。
大正12年に別府鉄道土山線(べふてつどうつちやません/昭和59年2月1日廃止)が敷設された際、土器が大量に掘り出されたことを聞き、山之上住吉神社南側の土砂の採掘跡で大量の土器片を発見したのが、遺跡発見のきっかけです。
昭和37年から平成15年まで、20次にわたる発掘調査が行なわれ、総面積の2割の調査で73軒の竪穴住居跡が発見されているため、全体では250軒ほどの住居跡があるのだろうと推測されています。
住居跡のひとつ、第7-A住居跡からは、中国の後漢時代に製作された内行花文鏡(ないこうかもんきょう)の小破片が出土(昭和38年、弥生時代の住居跡から発掘された日本初の銅鏡)。
大中遺跡は、弥生時代から古墳時代へ社会が移りゆく時期に突如として大集落を形成。
この時代、東播磨(ひがしはりま)ではそれまでの集落から様相が変化し、弥生のムラが生まれ変わる時期だったのです。
一帯は、播磨大中古代の村という愛称の付けられた大中遺跡公園として整備され、8棟の住居が復元されているほか、公園内に「播磨町郷土資料館」があり、出土品を展示。
エリアを横断する「であいのみち」(歴史とのであいミュージアムロード)は、別府鉄道土山線の廃線跡を遊歩道として整備したもの。
南側にある駐車場からは狐狸ヶ池(こりがいけ)を経由して播磨大中古代の村の敷地に入る仕組み。
隣接して「兵庫県立考古博物館」もあり、古代史ファンには人気のエリアになっています。
毎年11月第1土曜には『大中遺跡まつり』が開催され、ヒメミコの古代行列、火起しの儀(ジャンボ舞ぎりによる火起し)、特設ステージでの古代ダンスなどが行なわれています。
播磨大中古代の村(大中遺跡公園) | |
名称 | 播磨大中古代の村(大中遺跡公園) /はりまおおなかこだいのむら(おおなかいせきこうえん) |
所在地 | 兵庫県加古郡播磨町大中1-1-1 |
関連HP | 播磨町公式ホームページ |
電車・バスで | JR土山駅から徒歩20分。山陽電車播磨町駅から徒歩30分 |
ドライブで | 第2神明・加古川バイパス明石西ICから約3km |
駐車場 | 播磨町大中遺跡公園駐車場(64台/有料) |
問い合わせ | 兵庫県立考古博物館 TEL:079-437-5589/FAX:079-437-5599 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag