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観音寺(志方城跡)

観音寺(志方城跡)


兵庫県加古川市志方町にある曹洞宗の寺、観音寺。観音寺は、黒田官兵衛(NHK大河ドラマ『軍師 官兵衛』主人公)の妻・光(てる/みつ)が生まれた櫛橋家の居城・志方城の城跡。現在の観音寺境内が本丸跡で、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(北側の志方小学校一帯)、西の丸(西側の志方二の丸会館一帯)が配されていました。

黒田官兵衛の妻・光が生まれた城

志方城主・櫛橋家は赤松氏の家臣で、赤松政則(あかまつまさのり/赤松家の第9代当主で15世紀後半に活躍)の代となる明応元年(1492年)、櫛橋則伊(くしはしのりこれ)が志方城を築城しています。

以来、櫛橋伊家(くしはしこれいえ)、櫛橋伊定(くしはしこれさだ)、櫛橋政伊(くしはしまさこれ)と4代にわたって居城としています。

櫛橋伊定の娘・てるは、永禄10年(1567年)、小寺氏の家臣だった黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年、永禄11年(1568年)に嫡男が誕生(後の福岡藩主・黒田長政)しています。

天正5年(1577年)、播磨平定のため羽柴秀吉が送り込まれてくると、天正6年(1578年)、別所長治(べっしょながはる)が織田信長に反旗を翻し、三木城に立て籠もって毛利氏に通じたため、櫛橋伊定もこれに従い、その結果、志方城は羽柴秀吉軍(織田信雄)の城攻めで落城。

織田信長の才能を高く評価していた黒田官兵衛は、羽柴秀吉の配下として活躍、志方城落城の際に志方城主は人質を出して兵士たちの助命を条件に自害したとされるが、その城主が黒田官兵衛の義父・櫛橋伊定だったか、義兄・櫛橋政伊だったのかは定かでありません。

観音寺は、天正15年(1587年)、宝岩宗珍が城主の墓碑を守るために本丸跡に櫛橋家の念持仏である十一面観世音菩薩を本尊として安置し、宝積山地福寺を建立したことに始まる寺で、延宝2年(1674年)、観音寺に改められています。

観音寺(志方城跡)
名称 観音寺(志方城跡)/かんのんじ(しかたじょうあと)
所在地 兵庫県加古川市志方町志方町720
関連HP 加古川観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR宝殿駅からかこバスミニ志方東ルート・西ルートで志方小学校前下車、徒歩5分
駐車場 あり
問い合わせ 観音寺 TEL:079-452-2370
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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