牛堂山国分寺

牛堂山国分寺

兵庫県姫路市御国野町、播磨国分寺跡(はりまこくぶんじあと)の寺域の北側に建つのが牛堂山国分寺(うしどうさんこくぶんじ)。播磨国分寺の後継寺院で、山門は奈良時代に聖武天皇の詔で建立された播磨国分寺の金堂のあった場所で(巨大な礎石が現存)、本堂はかつての講堂跡に建っています。

黒田官兵衛が別所勢を撃退した地

牛堂山国分寺
山門横には金堂の礎石が現存

天正6年(1578年)、三木城の別所長治(べっしょながはる)が織田信長に反旗を翻し、毛利軍の大軍が尼子氏や山中幸盛らが守る上月城を取り囲んだ際、羽柴秀吉は三木城の兵糧攻めを維持しながら、自らの手勢を率いて出陣。
その間隙(かんげき)をぬって別所勢が姫路城を陥れようとしたため、黒田官兵衛は姫路に戻ってこの牛堂山国分寺に陣を構えています。

その際、別所勢は事前に国分寺に火を放ち堂宇は焼失。
現在の本堂などは寛永16年(1639年)、姫路城主・松平忠明(まつだいらただあきら=三河譜代の徳川家の重臣・奥平信昌の四男で、家康の養子となり、松平姓を名乗る)の再建。
松平忠明の忠は、徳川秀忠(徳川2代将軍)から賜ったもので、母は家康の娘・亀姫(盛徳院)。
西国探題として機能した姫路藩主時代には徳川家光の後見人(大政参与)にもなる要職に就いていました。

牛堂山国分寺
名称 牛堂山国分寺/うしどうさんこくぶんじ
所在地 兵庫県姫路市御国野町国分寺121
電車・バスで JR御着駅から徒歩10分
駐車場 30台/無料
問い合わせ 牛堂山国分寺 TEL:079-253-0669
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
播磨国分寺跡

播磨国分寺跡

国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国の中心である国府に一寺ずつ建立された官寺で、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。播磨国(はりまのくに)に置かれた播磨国分寺の跡は、姫路市御国野町国分寺

 

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