広島県尾道市、芸予諸島のひとつ、因島(いんのしま)の北部にある標高226.9mのピーク、白滝山は石器時代から霊山として信仰された山で、山上にある巨石群は磐境(いわさか=社殿建築以前の祀り場で、岩石によって俗域と神域を分けた場所)と想像されています。五百羅漢石仏が並ぶ山上は因島一のビュースポットで、因島大橋を眼下にします。
芸予諸島屈指の霊山山頂に江戸時代の五百羅漢が並ぶ
戦国時代の永禄12年(1569年)、瀬戸内海航路を掌握した因島村上水軍第6代の村上吉充(むらかみよしみつ=厳島の合戦で因島村上水軍を派遣し毛利方の勝利に大きく貢献、第一次木津川口の戦いで織田水軍を壊滅/菩提寺は金蓮寺)が布刈瀬戸を眼下にする白滝山に見張所を置き、観音堂を建立。
文政10年(1827年)、山麓の因島重井の農業兼木綿問屋「川口屋」の柏原伝六(一観伝六)とその弟子・柏原林蔵らの手で五百羅漢の石仏が彫られています。
柏原伝六は、25歳の時に西国三十三番札所を巡礼。
42歳の時に発心し、「観音堂一観」と称して白滝山の観音堂に籠り、神道、儒教、仏教、邪蘇(やそ=キリスト教)などを統合した「一観教」を開き、白滝山上に観音浄土を築こうと考えたのです。
里人が「一観教」に入信したことから、広島藩は邪教として柏原伝六を捕縛。
柏原伝六は文政11年3月15日(1828年4月28日)、広島の獄舎で病死しています。
観音堂の周辺には、自然石の多宝塔や釈迦三尊像など700体もの石仏が並び圧巻。
瀬戸内海を眼下にする展望地に石仏が並び、異色の空間を生みだしています。
探すと十字架を手にしたマリア観音像もあるので、広島藩が危険視したこともよくわかります。
ドライブの場合は、因島大橋の因島詰めから白滝フラワーラインが山上まで通じており、駐車場から徒歩10分で五百羅漢。
白滝山(五百羅漢石仏) | |
名称 | 白滝山(五百羅漢石仏)/しらたきさん(ごひゃくらかんせきぶつ) |
所在地 | 広島県尾道市因島重井町 |
関連HP | 尾道観光協会公式ホームページ |
ドライブで | 西瀬戸自動車道(しまなみ海道)因島北ICから約2.2km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 尾道市因島総合支所しまおこし課 TEL:0845-26-6212/FAX:0845-22-2203 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力/尾道観光協会、広島県観光連盟
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