広島県呉市豊町御手洗、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で町並み保存地区(国の重伝建)に選定されるのが、呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区(くれしゆたかまちみたらいでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)。西廻り航路の港町として発展した風情ある家並みが残されています。
小路のほとんどが海に向かう特徴的な町並みにも注目を
御手洗港は、古代より風待ち・潮待ちの港として知られ、江戸時代には西廻り航路(沖乗り)の発達で、北前船の風待ち湊として栄えた歴史を有しています。
寛文12年(1672年)、河村瑞賢(かわむらずいけん)は、大坂(現・大阪)と酒田、蝦夷(北海道)を結ぶ西廻り航路を開設。
北前船が登場し、沿岸の港に立ち寄らず瀬戸内海の中央を抜けていく沖乗り航路が発達します。
酒田で積んだ米が江戸に到着するのに敦賀で陸揚げ、桑名まで運んで再び海路という時代に1年3ヶ月もかかったのが、2ヶ月(海路3200km)で到着するという画期的な流通革命でした.
その沖乗り航路の「弁才船」(べざいせん=千石船)は、一枚帆に追い風をうけるというシンプルな構造で、風や潮流の影響を大いに受け、潮待ち、風待ち湊として発展したのが御手洗です。
蝦夷地や東北、北陸からの物資の中継地としてだけでなく、風待ちの際に船乗りたちが滞在することで遊郭なども誕生。
遊郭の町としても知られ、町並みには当時最大の遊郭として知られた「若胡子屋」などが残されているのも特徴で、100人もの遊女を抱えていたという「若胡子屋」は現在集会所に再生されています。
西国大名も参勤交代の際、御手洗のに船宿に寄留し、幕末期には薩摩藩・長州藩・芸州藩との交易場所となって外国船も停泊。
ドイツ人シーボルトも江戸参府の際に立ち寄り、幕末の元治元年(1864年)には京を脱出した三条実美(さんじょうさねとみ)ら7人の公家が長州に逃れる途中に立ち寄るなど(御手洗七卿落遺跡)、歴史にもその名を刻んでいます。
また、江戸時代の高燈籠、雁木、石垣護岸などの港湾関施設とともに、昭和初期に建てられた芝居小屋「乙女座」、洋館など、江戸時代から昭和初期に至る各時代の建物が一体となってよく残されていて、それが選定の理由に。
日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産にもなっています。
常盤町通り(メインストリート)の中ほどに江戸時代の商家を再生した「潮待ち館」がビジターセンターとなっているので、まずはここに立ち寄りを。
地名の由来は、菅原道真が大宰府へと左遷される際、島の井戸で手を洗ったことによるといわれますが、歴史的な裏付けはありません。
広島県内の伝統的建造物群保存地区(重伝建)は、呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区のほか、竹原市竹原地区、福山市鞆町、廿日市市宮島町の合計4ヶ所です。
呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 呉市豊町御手洗伝統的建造物群保存地区/くれしゆたかまちみたらいでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 広島県呉市豊町御手洗 |
関連HP | 呉市公式ホームページ |
電車・バスで | JR呉駅、または広駅からとびしまライナー豊・豊浜方面行きバスで、御手洗港(みたらいこう)下車 |
ドライブで | 広島呉道路呉ICから約40km |
駐車場 | 御手洗駐車場(16台/無料)、御手洗かもの駐車場(40台/無料)、または、周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 呉市観光振興課 TEL:0823-25-3309 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag