推古天皇24年(616年)、聖徳太子が開いたとも伝えられる広島県尾道市屈指の古刹が浄土寺。建武3年(1336年)2月、足利尊氏(あしかがたかうじ)は、九州に落ち延びる途中戦勝祈願に立ち寄り、勝利再起した後にその庇護を受けて栄えました。江戸時代以降は必勝祈願、商売繁盛の寺として商人など多くの人々の信仰を集めています。
本堂と多宝塔は国宝、そして重要文化財がズラリ!
嘉暦2年(1327年)の建立の本堂、その脇にある嘉暦3年(1328年)建立の和様の多宝塔は国宝。
御本尊は秘仏で33年に一度御開帳されています。
阿弥陀堂は、貞和元年(1345年)の築、山門は室町時代の築、そして南北朝時代築の宝篋印塔 (足利尊氏供養塔)は国の重要文化財。
方丈は、元禄3年(1690年)の築、食堂(現在の庫裏・客殿)は享保4年(1719年)の築、唐門は正徳2年(1712年)築、宝庫は宝暦9年(1759年)築でいずれも国の重要文化財。
護摩堂と経堂は、正徳年間の築で、江戸時代の建築物は繁栄した尾道の豪商の寄進によるもの。
文化3年(1806年)正月中旬、徳島の隠士で雪舟13代の孫・長谷川千柳なる人が作庭した庭園は国の名勝になっています。
寺紋の「二つ引門」は足利尊氏の家紋。
足利氏と関係の深さがよくわかります。
中国三十三観音霊場第9番札所。
吉和太鼓踊り
旧暦7月18日に浄土寺に奉納されるのが吉和太鼓踊り。
建武3年(1336年)2月、足利尊氏が尾道から九州に落ち延びる時、水先案内をつとめたのが吉和の漁師で、足利尊氏の戦勝を祝って踊ったのが、この勇壮活発な踊りの始まりだと伝えられています。
江戸時代の踊りの様子を描いた絵馬が残されているので、すでに江戸時代には始まっていたことがわかりますが、正確な起こりは定かでありません。
現在では西暦に置き換えて偶数年の8月18日に奉納されています。
浄土寺まで足利尊氏の御座船をかたどった神輿とともに太鼓を打ち鳴らしながら踊り、浄土寺に踊りを奉納します。
建武3年(1336年)2月、足利尊氏が尾道から九州に落ち延びる時、水先案内をつとめたのが吉和の漁師で、足利尊氏の戦勝を祝って踊ったのが、この勇壮活発な踊りの始まりだと伝えられています。
江戸時代の踊りの様子を描いた絵馬が残されているので、すでに江戸時代には始まっていたことがわかりますが、正確な起こりは定かでありません。
現在では西暦に置き換えて偶数年の8月18日に奉納されています。
浄土寺まで足利尊氏の御座船をかたどった神輿とともに太鼓を打ち鳴らしながら踊り、浄土寺に踊りを奉納します。
浄土寺 | |
名称 | 浄土寺/じょうどじ |
所在地 | 広島県尾道市東久保町20-28 |
関連HP | 浄土寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR尾道駅から徒歩25分。または、尾道市営レトロバスで10分、浄土寺下車 |
ドライブで | 山陽自動車道尾道ICから約8km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 浄土寺 TEL:0848-37-2361 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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