浄土寺・本堂

浄土寺・本堂

広島県尾道市にある真言宗泉涌寺派大本山、浄土寺。 嘉暦2年(1327年)建立の本堂は、 嘉暦3年(1328年)築の多宝塔とともに国宝。入母屋造本瓦葺き。和様を基調として禅宗様(唐様)、大仏様(天竺様)の細部を取り入れた中世折衷様仏堂建築の代表作。年代の確証あるものとしては最古の例に属しています。

中世の尾道浦の繁栄を背景に建立

浄土寺・本堂

浄土寺は、推古天皇24年(616年)、聖徳太子創建とも伝えられる古刹ですが、鎌倉時代後期の嘉元4年(1306年)、奈良西大寺の律僧真言律宗系の僧で叡尊の弟子・定証が再興、伽藍が再整備されています。

現存する本堂は、正中2年(1325年)の火災で焼失後の嘉暦2年(1327年)、尾道の富豪、沙弥道蓮(しゃみどうれん)・比丘尼道性(びくにどうしょう)夫妻によって復興再建されたもの。

大仏様(天竺様)は、鎌倉時代初期の東大寺の再建の際、入宋経験のあった重源が取り入れた大陸式の新しい建築様式。
禅宗様(唐様)は、宋滅亡による僧侶の禅僧の活発な往来もあり、鎌倉時代後期から禅宗寺院で盛んになった建築様式。
和様に鎌倉時代の鎌倉新様式(宋様式)を折衷した建築物というわけです。

尾道浦(現在の尾道港)は、平安時代末期の嘉応元年(1169年)、平家の領地だった備後国大田庄(現在の世羅町周辺)から京への米を積み出す湊に定められ、港町としてのスタートを切っています。
文治2年(1186年)、大田庄が高野山領として寄進され、尾道浦も高野山領に編入され、尾道に入港する船からは津料(関税)を徴収し、高野山に上納していました。

弘安9年(1286年)、高野山から浄土寺と曼荼羅寺(現・海龍寺)の別当職を与えられていることからも、尾道の交易による繁栄と、寺院の設立の関係がよくわかります。

さらに尾道浦は、中世に、海外との交易が行なわれていたと推測され、中国宋・元時代の龍泉窯で焼かれた青磁や白磁(当時の中国の重要な輸出品)は、尾道市内の多くの中世遺跡で見つかっています。

こうした尾道浦の繁栄を背景に築かれたのが浄土寺の本堂と多宝塔です。
足利尊氏は建武3年(1336年)2月、九州に落ち延びる際、浄土寺本堂で戦勢挽回を祈願していますが、その本堂が現存していることに。

ちなみに瀬戸内海交易の繁栄を背景に建築された明王院・本堂(江戸時代初期までは常福寺という律宗の寺)は、現存する浄土寺・本堂の完成する7年前、元応3年(1321年)の築でやはり国宝です。

名称 浄土寺・本堂/じょうどじ・ほんどう
所在地 広島県尾道市東久保町20-28
関連HP 浄土寺公式ホームページ
電車・バスで JR尾道駅から徒歩25分。または、尾道市営レトロバスで10分、浄土寺下車
ドライブで 山陽自動車道尾道ICから約8km
駐車場 15台/無料
問い合わせ TEL:0848-37-2361
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
浄土寺

浄土寺

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浄土寺・多宝塔

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明王院・本堂

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プレスマンユニオン編集部

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