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岡本亀太郎本店

岡本亀太郎本店

広島県福山市鞆町、福山市鞆町伝統的建造物群保存地区に選定されるレトロな町並みの一角にあるのが、岡本亀太郎本店。地元で「ミツボシ」と呼ばれるのが、鞆に4軒ある保命酒(ほうめいしゅ)製造元のひとつ、岡本亀太郎本店。店内では、保命酒シリーズはもちろん、2種類の本みりんや四十度保命酒の試飲が可能です。

ベースとなる味醂にこだわる「ミツボシ」保命酒

保命酒は万治2年(1659年)、洪水の被害を受けた大坂(現・大阪市)から移住した漢方医の子息、中村吉兵衛(なかむらきちべえ)が、「吉備の旨酒」(岡山の地酒)に16種の漢方薬を漬け込み、醸造したのが始まり。
江戸時代は中村家のみの独占醸造でしたが、明治に入り自由化され、「ミツボシ」の岡本亀太郎本店は、幕末の安政2年(1855年)創業の酒屋が明治に保命酒醸造に転身したもの。
現在鞆に残る保命酒屋は4軒ありますが、味は各店で微妙に異なり、中村家と懇意だったという岡本亀太郎本店では、上質な味醂酒をベースに、16種のハーブ類を漬け込んで醸造されています。

店舗に鎮座する大きな龍看板は、保命酒の元祖・中村家が明治時代後期に保命酒業を廃業する際に道具とともに譲り受けたという由緒ある看板。

保命酒は、味醂ベースの和製リキュール。
その甘味と、滋養強壮の薬効により古来から人気が高く、江戸時代潮待ちで滞在した朝鮮通信使(朝鮮通信使は鞆の浦を「日東第一景勝」と絶賛)も愛飲しています。
あのペリーも、下田で日米和親条約に伴う下田条約が締結された際、当時の老中首座で福山藩主・阿部正弘(あべまさひろ=福山藩阿部家は、徳川家康に仕えた阿部正勝を祖とする譜代の家系)の接待で口にし、「素晴らしいリキュール」と評したと伝えられています(ペリーは阿部正弘にアメリカとメキシコが戦った戦争の版画を贈呈/アメリカの圧勝した戦争で、意図して贈呈したと推測できます)。
朝鮮通信使が保命酒を好んだことから、ペリーの接待にも使えると考えてのこと。

現在では、海外輸出を意識して、アルコール度数を従来の13度から40度に高めた「四十度保命酒」も発売され、オンザロックなどにも最適。
また、保命酒の命は、ベースとなる「良い味醂」で、麹の力を最大限に引き出した純米仕込本味醂「岡本亀太郎」は、「岡本亀太郎本店の本味醂醸造技術の集大成」という逸品です。
定番の「ミツボシ本みりん」、ほんのり甘いみりん粕「保命酒加寿」も人気。

岡本亀太郎本店
名称 岡本亀太郎本店/おかもとかめたろうほんてん
所在地 広島県福山市鞆町鞆927-1
関連HP 岡本亀太郎本店公式ホームページ
電車・バスで JR福山駅からタクシーで30分。または、鞆鉄バス鞆港行きで32分、終点下車、徒歩1分
ドライブで 山陽自動車道福山東ICから約15km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 岡本亀太郎本店 TEL:084-982-2126/FAX:084-982-1318
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

福山市鞆町伝統的建造物群保存地区

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鞆港(鞆の浦)

かつて潮待ち湊として栄えた鞆の浦(広島県福山市鞆町)。瀬戸内海随一の要港だった頃の喧噪とは無縁の静けさですが、江戸情緒を色濃く残す街並みは今も健在。鞆七卿落遺跡周辺の白壁土蔵やベンガラ商家の家並みはもちろん貴重ですが、鞆の原風景といえば、や

鞆港・常夜灯

広島県福山市鞆町の鞆の浦(とものうら)は北前船の寄港などで栄えた港町。鞆の港に入る船の目印となっていた石造の常夜灯が現存しています。寛政3年(1791年)に築かれたもので、今も鞆の浦のシンボルとなっています。その足下に広がるのが雁木。干潮、

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桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)

慶応3年4月23日(1867年5月26日)、坂本龍馬ら「海援隊」メンバーを乗せた蒸気船「いろは丸」が、備讃瀬戸(箱崎と六島の沖合)で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突した「いろは丸事件」。龍馬と乗組員は、明光丸で鞆の浦に上陸。その際、龍馬ら海援隊

いろは丸展示館

広島県福山市の鞆の浦は、瀬戸内海交易、そして北前船の寄港ととして繁栄した歴史を有しています。鞆港の雁木に面して建つ白壁土蔵がいろは丸展示館。館内では、海援隊を組織した坂本龍馬が瀬戸内海を航行中に紀州藩の軍艦と衝突、鞆の浦沖で沈没した「いろは

沼名前神社

広島県福山市鞆町(ともちょう)にあり、「鞆の祇園さん」とも呼ばれるのが沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)。神功皇后(じんぐうこうごう)が霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まると伝わる古社で、明治時代に渡守神社(わたすじんじゃ)、鞆祇園

医王寺

広島県福山市の瀬戸内海交易で栄えた鞆の浦(とものうら)。古き家並みが残される鞆の町並みからやや離れますが、弓状に突き出した半島や波止場、仙酔島などを一望にする後山の中腹、絶景地に建つのが、医王寺。空海(弘法大師)創建の寺と伝わる真言宗の古刹

対潮楼

広島県福山市の瀬戸内海交易で栄えた鞆の浦。壮麗な石垣の上に鞆の浦を見下ろすようにして建つのが千住院福禅寺です。山号を海岸山といい、天歴年間(947年〜957年)、空也創建と伝わる古刹。対潮楼はその客殿にあたり、元禄年間(1690年頃)の築造

圓福寺(大可島城跡)

広島県福山市の鞆の浦にある真言宗大覚寺派の寺が圓福寺。慶応3年(1867年)4月23日、海援隊を率いた坂本龍馬を乗せた蒸気船「いろは丸」が、紀州藩の「明光丸」と衝突・沈没した「いろは丸事件」。その際、紀州藩側の宿舎となった真言宗の寺が圓福寺

澤村船具店

広島県福山市鞆町、福山市鞆町伝統的建造物群保存地区に選定されるレトロな町並みの一角にあるのが、澤村船具店。古くから鉄鍛冶が盛んだった鞆。潮待ち、風待ち湊という歴史を反映して船具店も多かったといいいますが、澤村船具店は、元禄時代創業という老舗

入江豊三郎本店

広島県福山市鞆町、福山市鞆町伝統的建造物群保存地区に選定されるレトロな町並みの一角にあるのが、入江豊三郎本店(いりえとよさぶろうほんてん)。古くから風待ち、潮待ちの港として栄えた鞆の浦。その鞆の浦には日本最古の滋養強壮薬味酒といわれる「保命

 

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