広島県呉市にある周囲16kmの下蒲刈島(しもかまがりじま)は、古くから瀬戸内海の要衝として栄え、江戸時代には朝鮮通信使も寄港した歴史ある島。島の東端に位置する松濤園(しょうとうえん)は、三之瀬瀬戸の急潮を借景として作庭された緑あふれる庭園で、園内に旧家や歴史的な建物を復元し、島の歴史や文化を紹介しています。
蒲刈島御番所も復元
旧下蒲刈町の全島庭園化事業(ガーデンアイランド構想)で整備された「松濤園」。
三之瀬瀬戸をひとまたぎにする蒲刈大橋のたもとに位置する松濤園には、朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」、紀元前のテラコッタランプや石ランプなど、日本の古い灯火器を展示する「あかりの館」、古伊万里の名品を展示した陶磁器館、復元した「蒲刈島御番所」などが見学可能。
「陶磁器館」の建物は、18世紀末頃に建てられた宮島の町屋(旧吉田邸)を移築しもの。
館内では、初期伊万里、古九谷、柿右衛門、鍋島など陶磁器が見学できます。
また、朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」の建物は、富山県から移築したもので明治中期に建てられた砺波地方の代表的な商家造りの建物(旧有川邸)。
「あかりの館」の建物は、藩政時代に大庄屋を務めた旧家(旧吉田邸)で山口県上関町から移築したもので、平入り入母屋型本瓦葺屋根の古い土蔵造りで瀬戸内地方独特のもの。
また、蒲刈島御番所は、現存する毛利藩(山口県上関町)の番所を基に復元しています。
蒲刈島は江戸時代、瀬戸内海の交通の要衝で、関ヶ原合戦後、広島藩の藩主となった福島正則は三之瀬に海駅を設け、長雁木(なががんぎ)を築いています。
その後、広島藩は、瀬戸内海を行き交う船を監視する番所と、本陣の御茶屋を設け、参勤交代の西国大名、朝鮮通信使もこの御茶屋を利用したのです。
番所には繋船奉行(けいせんぶぎょう)のもとに、船頭(せんどう)、水主(かこ)が配備され番船や水船などがいつも係船されて、海上の警固にあたっていました。
松濤園 | |
名称 | 松濤園/しょうとうえん |
所在地 | 広島県呉市下蒲刈町下島2277-3 |
関連HP | 松濤園公式ホームページ |
電車・バスで | JR仁方駅から瀬戸内産交バス田戸行きで20分、三之瀬下車、すぐ |
ドライブで | 東広島呉自動車道阿賀ICから約12km |
駐車場 | 三之瀬地区駐車場(60台/無料) |
問い合わせ | 松濤園 TEL:0823-65-2900/FAX:0823-65-2711 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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