福山城・御湯殿

福山城・御湯殿

築城した水野勝成が徳川家康の従兄弟(いとこ)ということで福山城には家康再建の伏見城内から多くの建物が移築されています。御湯殿も、本丸御殿(伏見城表居間)とともに伏見城から移築された建物で、戦前は国宝に指定されていましたが、昭和20年の戦災により焼失。現在の建物は昭和41年に市制50周年事業として復元されたもの。

「御湯殿」とはいうのもの正しくは「御風呂屋」で湯船はなかった!?

「御湯殿」の呼称が使用されたのは、実は料亭として転用された明治以降のこと。
藩政時代には「御風呂屋」と呼ばれ、建築の一部は石垣上に張り出し、物見の段と風呂の間に分かれていました。
つまりは展望施設と、風呂というまさに太平の世の譜代大名の保養施設といった感じに。
藩主が公務を司った大書院とはその南側に建つ「御風呂屋」とは渡り廊下で結ばれていました。

注意したいのは、「御風呂」であって「湯殿」でないこと。
つまり、入浴という習慣がまだまだ贅沢なものだった時代、当時の「風呂」は蒸し風呂を意味し、湯殿が湯船がある建物と区別されていました。
湯殿は別に奥居間と鏡櫓横の御殿にあり、「御風呂」は蒸し風呂でした。
残念ながら、昭和41年の復元では明治初期に料亭として改築された状況に戻しているので、「内外ともに復原した」とされるものの、実際には「風呂」部分は原状復帰されていません。
座敷部分の扉にはなんと豊臣家の家紋「五七桐」が描かれていますが、伏見城の豊臣時代の建物は関ヶ原の戦いで西軍によって焼き払われており、伏見城からの移築が事実だとしても、描かれる紋は葵の紋であるはず。

つまり、石碑やHPなどに公言される「内外ともに復原した」というのはかなり誇張ということになります。
歴史的な考証が不足しているので、復原でも、復元でもなく、復興建築物という範疇の建物。
現在、内部は月見櫓同様に貸会場となっていて、殿様気分で活用することができます。

福山城・本丸

正保城絵図に見る福山城の本丸と御湯殿

福山城・御湯殿 DATA

名称 福山城・御湯殿/ふくやまじょう・おゆどの
所在地 広島県福山市丸之内1-8
関連HP 福山城博物館公式ホームページ
電車・バスで JR福山駅北口から徒歩5分
ドライブで 山陽自動車道福山東ICから約6.8km
駐車場 ふくやま美術館・広島県立歴史博物館駐車場(40台)、ふくやま文学館駐車場(30台)/有料
問い合わせ 福山城博物館 TEL:084-922-2117/FAX:084-922-2126
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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