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憧憬の広場・竹鶴政孝&リタ像

憧憬の広場・竹鶴政孝&リタ像

広島県竹原市、国の重伝建「竹原市重要伝統的建造物群保存地区」(たけはら町並み保存地区)に指定されるメインストリート、本町通り沿いにある園地が、憧憬の広場。竹原市歴史民俗資料館に隣接する園地で、竹鶴政孝&リタ像が立っています。平成27年6月20日、竹鶴政孝生誕120年を記念して建立。

竹鶴政孝は竹鶴本家(竹鶴酒造)で明治27年生誕

平成26年放映のNHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルになったニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝は、明治27年6月20日、竹鶴酒造(竹鶴本家)で生誕。
竹鶴家は江戸時代、頼家、吉井家と並ぶ竹原の三大塩田地主で、享保18年(1733年)から「小笹屋」の屋号で酒造業も営んでいます。
竹鶴政孝は分家でしたが、政孝の父・竹鶴敬次郎が後見として本家に入って酒造業に従事したことから、竹鶴本家で生まれています。

大阪高等工業学校(後の旧制大阪工業大学、現在の大阪大学工学部)の醸造科に進んだ竹鶴政孝は、洋酒に興味を持ち、大阪高工の先輩・摂津酒造常務の岩井喜一郎を頼って摂津酒造(当時の洋酒業界のトップメーカー)に入社。
スコットランドに留学し、グラスゴー大学で有機化学と応用化学を学び、キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で実習し、本場のスコッチに触れます。
留学中にジェシー・ロバータ・カウン(通称・リタ)と知り合い結婚。

寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画し、竹鶴政孝を破格の待遇でスカウトし、「サントリー白札」を発売。
その後、寿屋を退職し、「良い物は必ず売れる」という信念をもとに大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を創業(余市特産のリンゴを絞ってリンゴジュースを作り、その売却益でウイスキー製造を行なう計画で大日本果汁と命名、昭和15年、ウイスキーの販売にあたり日・果を採ってニッカウヰスキーと命名)。

品質を重視し、「良い物は必ず売れる」という竹鶴政孝の信念は、この竹原時代に父の姿を見ながら醸成されたもの(当時、竹原では灘に対抗して高品質の日本酒造りが行なわれていました=その伝統は竹鶴醸造も継承)。
竹鶴政孝&リタ像の脇には、「よいウヰスキーづくりにトリックはない 竹鶴政孝・リタ」と記された碑文も。
碑文にはありませんが、この言葉には「自然を尊重する素直な気持ちがすべての土台だ」と続いています。

竹鶴政孝&リタ像(銅像)は、陶芸家・今井眞正(いまいまきまさ)氏の制作(横顔の写真がないので制作に苦労したとのこと)。

憧憬の広場・竹鶴政孝&リタ像
名称 憧憬の広場・竹鶴政孝&リタ像/しょうけいのひろば・たけつるまさたかとりたぞう
所在地 広島県竹原市本町3-11-16
関連HP 竹原市公式観光サイト
電車・バスで JR竹原駅から徒歩15分
ドライブで 山陽自動車道河内ICから約13km
駐車場 新町市営駐車場(47台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

竹鶴酒造・小笹屋酒の資料館(竹鶴政孝生家)

広島県竹原市にある酒蔵が竹鶴酒造。古くから浜主(塩田を営んでいた)で、副業として酒造を営なんだ小笹屋(おざさや)が始まりで、小笹屋酒の資料館を併設(開館日は限定されています)。ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の生家にもなっています。入母屋

 

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