サイトアイコン ニッポン旅マガジン

常陸風土記の丘

常陸風土記の丘

茨城県石岡市は古代の常陸国の中心地。常磐自動車道の建設の際に竪穴住居跡90軒、工房跡10基(鍛冶跡)、長屋状竪穴遺溝2棟が発見された鹿の子遺跡一帯を常陸風土記の丘として整備し、古代家屋復元広場、鹿の子史跡公園、「石岡の歴史」展示室などで楽しく古代史を学ぶことができます。

古代、常陸国の中心は石岡市にあった!

【茨城県石岡市公式】 常陸風土記の丘

4世紀〜5世紀頃には古代の豪族が割拠し、壮大な古墳を残した石岡市。
ヤマト王権、中央政権の東北進出の拠点(軍事的な前線基地)ともなった場所で、奈良時代に常陸の国の国府が置かれ、国分寺、国分尼寺の跡も市街中心地に残されています。

常磐自動車道の建設にともなって発見された鹿の子遺跡(かのこいせき/石岡市鹿の子)は8世紀〜10世紀にかけて計画的に造られた集落で、朝廷の東北経営にあたって、その軍事的な補給基地となるために造られた集落(常陸国の官営工房跡)と推測されています。
鹿の子遺跡から発掘された建物は、住居ブロック、工房ブロック(鉄品や銅製品を造った作業場)、官衙(かんが)ブロック(役所的な機能を持ったところ)のに分かれ、官衙ブロック(8棟)、工房・住居ブロック(4棟)を鹿の子史跡公園として常陸風土記の丘内に整備しています。


獅子頭展望台は、『石岡のおまつり』(常陸國總社宮例大祭)に巡行する獅子頭を日本一の巨大サイズにしたユニークな展望台です。

常陸風土記の丘は、古代蓮が花をつける金山池を中心とした水際公園や獅子頭展望台、福島県会津地方の民家を移築復元した会津民家などの無料エリアと、鹿の子史跡公園、古代家屋復元広場、展示研修施設のある有料エリアに分かれています。
ふれあい広場には子供向けの遊具を整備。

水際公園には、例年7月中旬〜8月中旬のは大賀ハス(古代ハス)が開花します。
ソメイヨシノ、枝垂桜など500本の桜が植栽され、3月下旬〜4月下旬に『常陸風土記の丘さくらまつり』も開催。

「お食事処曲屋」では常陸秋そばの十割そばを味わうことができます。

常陸風土記の丘
名称 常陸風土記の丘/ひたちふどきのおか
所在地 茨城県石岡市染谷1646
関連HP 常陸風土記の丘公式ホームページ
電車・バスで JR石岡駅から関鉄グリーンバスで林経由柿岡車庫行きで村上下車、徒歩15分
ドライブで 常磐自動車道石岡小美玉スマートICから約5.5km
駐車場 125台/無料
問い合わせ 常陸風土記の丘 TEL:0299-23-3888/FAX:0299-23-7173
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

常陸国衙跡(常陸国府跡)

国衙(こくが)とは古代に国司の勤務した役所のこと。現代風に言い換えれば県庁のような存在。茨城県石岡市にある石岡小学校の校庭など常陸国衙跡の発掘調査では常陸国府の中心地に置かれた役所と倉庫群の跡が発見されています。国府の下には郡衙が置かれてい

常陸国分寺(国特別史跡常陸国分寺跡)

741(天平13)年の聖武天皇の詔によって68の国ごとに建立された国分寺(こくぶんじ)は、正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、常陸国分寺は、752年(天平勝宝4)年の建立。同年5月には百済王族の子孫・

常陸国分尼寺跡

古代の常陸国(現在の茨城県)は、大和朝廷の東方支配の前線基地的な役割を担っていたと推測されています。国分寺と同様に741(天平13)年の聖武天皇の詔によって68の国ごとに建立された国分尼寺のひとつが常陸国分尼寺。正式名を法華滅罪之寺(ほっけ

常陸風土記の丘・獅子頭展望台

茨城県石岡市、朝廷の東北経営の補給基地となった鹿の子遺跡一帯を整備した常陸風土記の丘のシンボル的存在が、獅子頭展望台(ししがしらてんぼうだい)。『石岡のおまつり』(常陸國總社宮例大祭)に巡行する獅子頭を日本一の巨大サイズにしたユニークな展望

茨城県畜産センター

常陸風土記の丘の西、茨城県茨城県石岡市根小屋にあるブランド力強化を支える新品種・新技術の開発などを行なう施設が茨城県畜産センター。総面積123.4haという広大な土地で乳牛、肉牛などが飼育され、高能力な種雄牛「茂光洋」(しげみつひろ)などが

古代、茨城は蝦夷征討の前線基地だった

古代、大和朝廷から見た東部・北部の原住民の蔑称が蝦夷(えぞ・えみし)で、律令制度の導入により、常陸国府(ひたちこくふ)は現在の茨城県石岡市(石岡小学校敷地内)に7世紀末頃に築かれています。鹿の子遺跡(かのこいせき/石岡市鹿の子)など武器製造

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了