前田土佐守家資料館

前田利家の次男、前田利政を祖とする前田土佐守家(まえだとさのかみけ)が代々所蔵していた資料約9000点を収蔵展示するのが前田土佐守家資料館。武具や利家の正室まつの直筆書状などが展示されています。土佐守家は加賀藩の重臣として、藩政の中枢にあったことから、貴重な資料が残り、歴代当主が保存してきたため散逸が少ないのが特長。

前田土佐守家に代々伝わる貴重な資料を展示公開

前田土佐守家資料館1階は、入口から「城下町案内ゾーン」、「展示ゾーン」(第一展示室)、「庭園鑑賞ゾーン」(庭園鑑賞室)と続いています。
2階の第二展示室では、年4回、企画展を開催。

「芳春院自筆消息」、「織田信長黒印状」、「豊臣秀吉消息」や前田利政所用の「黒漆塗黒糸威二枚胴具足」、前田土佐守家伝来の「皺革包白糸威三枚胴具足」などの宝物があります。
「芳春院自筆消息」は、関ヶ原の合戦後後、能登国を没収され、隠棲していた前田利政について、徳川家康から前田領国の国端においても良いとする仰せがあり、その喜びを母である芳春院(まつ)が、村井長次(芳春院の江戸人質の際にはこれに従って江戸に下った忠臣)にしたためたもの。
「織田信長黒印状」は、天正10年4月17日(1582年5月19日=本能寺の変の1ヶ月半前)、織田信長が前田利家に宛てた書簡。
前田利家が上杉謙信と対峙した越中の陣中から、信長に帷子(かたびら)を贈ったことに対する礼状。
「豊臣秀吉消息」は、肥前名護屋の陣より来春朝鮮出兵することを述べた豊臣秀吉直筆の書間。
かが殿と呼ばれた、秀吉の側室で利家の三女摩阿(まあ=利政の姉)に宛たもの。

前田土佐守家
前田土佐守家は、前田利政を祖とする加賀藩重臣の家系。
前田利政は、前田利家の次男として尾張国荒子城(愛知県名古屋市)に生誕。
妻子が三成の人質となっていたためか(『象賢紀略』)、関ヶ原の戦いでは病気と偽り出陣しなかったことから所領の能登国22万石を没収。

その後、利政の子・前田直之は、祖母・芳春院(利家の妻・まつ)にひきとられて養育され、叔父の加賀藩主・前田利常に仕え、芳春院の尽力で「加賀八家」の筆頭となっています。
前田土佐守家は、小松城代1万1000石を家禄とし、明治時代には前田直行(まえだなおつら)が男爵を授けられて華族に仲間入りしています。

前田土佐守家の祖、前田利政
 

前田土佐守家資料館 DATA

名称 前田土佐守家資料館/まえだとさのかみけしりょうかん
所在地 石川県金沢市片町2-10-17
関連HP 前田土佐守家資料館
電車・バスで JR金沢駅から北陸鉄道バス香林坊方面行きで11分、香林坊下車、徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道金沢西ICから約6.3kmで長町観光駐車場
駐車場 市営長町観光駐車場(20台)/有料
問い合わせ TEL:076-233-1561/FAX:076-261-0806
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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プレスマンユニオン編集部

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