岩手県平泉町にある史跡、無量光院跡(むりょうこういんあと)は、世界文化遺産「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」を構成する5資産のひとつ。源頼朝と対立した奥州藤原氏3代・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が宇治の平等院を模して、それを上回るスケールで建立した無量光院と壮大な浄土庭園の跡。
荘厳華麗な極楽浄土を具現化した庭園
平安時代の後期に、平安京(京都)に次ぐ人口と繁栄を誇っていたのが奥州藤原氏の拠点、平泉。
平安時代に隆盛した浄土思想を背景に京を中心に築かれた貴族的な浄土庭園。
東方の薬師如来に対し、西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)に往生しようというのが、「末法」の到来に怯えた平安貴族に隆盛した浄土思想です。
死後に「極楽」に生まれることを願って、地上にもそれを模した浄土庭園を築いたのです。
阿弥陀如来(あみだにょらい)の梵名(サンスクリット語)・アミターバは、「量(はかり)しれない光を持つ者」。
これを漢訳すると無量光仏となり、無量光院という寺の名も浄土思想に基づくものだということがわかります。
奥州藤原氏の栄華を象徴するのが初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が築いた中尊寺(清衡の娘は白水阿弥陀堂と浄土庭園=現・いわき市を建立)、2代・藤原基衡(ふじわらのもとひら)が建立した毛越寺(もうつうじ)ですが、その極まりともいえるのが3代・藤原秀衡の無量光院です。
鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、新御堂(にいみどう)と記されていることから、毛越寺の新院であることがわかります。
平泉の中心部に位置し、『吾妻鏡』には、新御堂の近くに奥州藤原氏の政庁・平泉館があったと記されていますから、無量光院が奥州藤原文化の中心であり、集大成だったと考えることができるでしょう。
そのスケールは、宇治・平等院を凌ぐ!
昭和27年の発掘調査の結果、四囲は東西240m、南北270m、面積6.5haと宇治・平等院を上回るスケールであることが判明。
さらに本尊を祀る阿弥陀堂(本尊は平等院と同じ阿弥陀如来)の柱間や翼廊の左右も1間分長いなど平等院鳳凰堂(ほうおうどう)より大きく、平等院を超えようとした意欲すら感じ取ることができます。
建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む夕日に極楽浄土をイメージした、浄土庭園の最高傑作となっています。
世界遺産委員会も「池泉・樹林・金鶏山山頂と関連して仏堂を周到に配置することにより実体化した理想郷の光景」と高い評価をしているのです。
奥州藤原氏の滅亡後に荒廃が進み、諸堂の跡は水田や松林になっていますが、平成24年から池周辺の復元整備が進んでいます。
平安時代末期の浄土思想を今に伝える寺院跡は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されています。
無量光院跡 | |
名称 | 無量光院跡/むりょうこういんあと |
所在地 | 岩手県西磐井郡平泉町平泉花立地内 |
関連HP | 平泉観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR平泉駅から徒歩5分 |
ドライブで | 東北自動車道一関ICから約8.8km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 平泉観光協会 TEL:0191-46-2110/FAX:0191-46-2117 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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