昭和31年の東海道本線全線電化に合わせ、国鉄初の特急形電車として昭和33年11月11日に特急「こだま」として運転が始まったのが151系電車で、その後、特急「とき」用の161系、特急「あさま」「あずさ」用の181系への進化しています。保存されるのはわずかに2両、先頭部分だけを合わせても3両しかありません。
こだま形特急の歴史を紹介
昭和31年11月19日、東海道線が全線電化し、特急「つばめ」、特急「はと」が全区間EF58形電気機関車が牽引するようになり、東京〜大阪間は、8時間から7時間30分へとスピードアップされましたが、日帰りはまだまだ無理な状況でした。
これを打開するために登場したのが、特急「こだま」で、その名称は、軽快さ、東京〜大阪の日帰り実現をイメージして公募で名付けられたもの。
ボンネット型の先頭は、まさに鉄道の高速化のシンボルで、クリーム4号を地色とし、赤2号の帯を引くというカラーリングは、「国鉄特急色」の原点にもなっています。
JNRマークもこのとき初めて採用され、国鉄分割民営化まで長きに渡って使われました。
座席は3等車が2人掛け回転クロスシート、2等車が2人掛けリクライニングシートを採用し、冷暖房完備。
「ビジネス特急」といわれたように東京〜大阪・神戸を2往復運転し(最高速度は110km/h)、東京〜大阪を6時間50分で結びました(電気機関車牽引の「つばめ」、「はと」に比べ40分の短縮)。
線路の改修によって昭和34年9月には東京〜大阪を6時間40分で結ぶようになりましたが、大阪発でも東京の滞在時間は3時間少々と、日帰りではかなり慌ただしいものでした(名古屋は日帰り圏内に)。
昭和37年6月10日の、信越本線の長岡〜新潟間の電化完成により、同じボンネット型特急で山岳区間に対応した161系特急「とき」が投入され、上野〜新潟を4時間40分で結びました。
その後、登場した181系は、信越本線「あさま」、中央本線「あずさ」、そして「つばめ」、「はと」「しおじ」、「うずしお」、「ゆうなぎ」など東海道・山陽特急にも使われ、国鉄特急の顔となり、あこがれの存在となったのです(当時、一般の庶民は急行を利用していました)。
さらに、交流区間へと乗り入れる交直両流の特急用に485系、489系が開発され、「しらさぎ」、「雷鳥」、「白鳥」などにも使われました。
首都圏では上野〜金沢を結んだ特急「白山」、夜行急行「能登」も489系で運用され、ボンネット型の勇姿を見せてくれました。
こだま形特急に出会える場所
鉄道博物館|クハ181-45
所在地:埼玉県さいたま市大宮区大成町3-47
内容:元々はクハ161形として発注され(上越線特急「とき」用に製造)、落成直前にクハ181形となった先頭車両で、廃車後は、新潟車両センターで保管されていました
「とき」運転開始時の運転台上にもヘッドライトがあるスタイルに復元されています
新潟駅ホームが再現され、ハイクラウン、チョコボールなどが並ぶ車内販売ワゴンなども見事に復元
川崎重工業兵庫工場|クハ151-1・クハ181-1
所在地:兵庫県神戸市兵庫区和田山通2-1-18(敷地内立ち入り不可、公道から見学)
内容:昭和33年に、川崎重工業兵庫工場を出場し、東京〜大阪間を6時間50分を結ぶビジネス特急「こだま」第1号編成の先頭車としてデビューしたクハ151-1(クハ181-1/20系クハ26001)を廃車後に搬入、静態保存したもの
隣には昭和58年、川崎重工業兵庫工場から出車し、25年間、東海道・山陽新幹線を駆け続け、平成20年12月14日に新大阪発「ひかり347号」で営業運転を終えた新幹線0系電車の先頭車両(車番21-7008)も静態保存されています
京都鉄道博物館|クハ151形前頭部
所在地:京都府京都市下京区観喜寺町
内容:交通科学博物館(大阪市港区)の開館時に設置されたもので、改修時に運転台のみとなりましたが、閉館後に京都鉄道博物館へ移設
昭和46年に製造されたボンネット形特急クハ489-1も「雷鳥」のヘッドマークで保存されています。
こだま形(ボンネット型)特急に会いに行こう! | |
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