人口10万人以上の都市で世界一の積雪量は、酸ヶ湯(すかゆ)に代表される青森市で、気象庁の公認記録でも人里では2013年2月26日に酸ヶ湯が記録した566cmです。ところが新潟県中頚城郡寺野村(現・上越市板倉区)で1927年2月13日に818cmという記録があり、高田測候所の新潟県気象報告にも残されています。
上越市板倉区の柄山集落には「積雪世界一の標柱」も立つ
大雪警報が出るような時、テレビ局は挙(こぞ)って酸ヶ湯(すかゆ)から中継を行ないますが、実は酸ヶ湯は標高890mの山中。
酸ヶ湯温泉などがあるものの、「人里」と捉えるには少し無理があります。
酸ヶ湯温泉が「人里」であるなら、映画にもなった新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』の題材となった八甲田雪中行軍遭難事件は起こっていませんから。
気象庁発表の積雪記録は測候所や、アメダスなどの観測機器がある地点だけですが、新潟県での記録は、魚沼市守門の463cm(1981年2月9日)ですが、この記録は長期間欠測が生じた資料不足値なので、もう少し深かった可能性もあります。
南極大陸全体の平均年間積雪量はおよそ15cmなので、降雪量は気温が低いからではなく、空気中の湿度に関係しています。
日本海には暖流の対馬海流が流れ、そこから湿った空気が供給されて、冷気とともに雪を生みます。
青森市に雪が多いのも津軽海峡に対馬海流の支流が流れ込むからです。
新潟県中頚城郡寺野村(現・上越市板倉区)で記録した818cmは、1927年2月13日の記録ですが、実は気象庁が当時伊吹山山頂にあった伊吹山測候所で職員が観測した世界記録1182cmは、1927年2月14日のことなので、寺野村で降り積もった雪は、上層の換気の影響で伊吹山では翌日まで振り続けたことがわかります。
逆にいえば、この寺野村は尺度の読み違いではなく、かなり正確だったことも想像できます。
高田測候所(1921年設置、2007年廃止)の新潟県気象報告では「寺野27尺」という報告があり、27尺=8m18cmという豪雪だったことがわかります。
気象台、測候所がある場所に限定すると、高田測候所で1945年2月16日に記録した3m77cmが最深雪記録。
高田は新潟県内でも有数の豪雪地帯で、寛文5年12月27日(1666年2月1日)には1丈4尺(402cm)の大雪が積り、そこに推定マグニチュード6.4の越後高田地震が発生。
城下町は雪に埋もれ、「この下に高田あり」の高札が立てられたほどだったと伝えられています。
「寺野27尺」はそんな記録よりも5m近く深いので、「戦前は雪がたくさん降った」という古老の話を裏付けるものがあります。
「寺野27尺」という豪雪を記録したのは、上越市板倉区にある久々野柄山(くぐのからやま)集落。
板倉地区の中心地から南東へ10kmほどいったところにある長野県境に近い集落(かつて十数戸あった集落も、過疎化が進んでいます)で、電信柱風の「積雪世界一の標柱」も立てられています。
雪解けにはブナの森から清水湧き、その清水が棚田を潤すという上越らしい風景が展開。
人里での積雪世界一、未公認ながら新潟県の豪雪地帯に! | |
所在地 | 新潟県上越市板倉区久々野柄山 |
場所 | 積雪世界一の標柱 |
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