「石っこ賢さん」こと宮沢賢治は、鉱石・地質学に精通!

詩人、童話作家として名高い宮沢賢治は、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を卒業、花巻農学校の教諭となっているので、農業指導者としても知られています。実は子供時代には家族から「石っこ賢さん」と呼ばれ、鉱石や地質学にも精通していたことはあまり知られていません。

「石と賢治のミュージアム」で賢治の足跡を学ぼう

大正5年、宮沢賢治も地質巡検に訪れた秩父・ようばけ

宮沢賢治は、盛岡中学校時代から鉱物に興味を持ち、盛岡高等農林学校の2年(20歳)だった大正5年9月には関豊太郎教授の引率で、当時ようやく鉄道が通じつつあった秩父の地質巡検(見学旅行)に訪れています。
皆野町までは鉄道でしたが、さらに西へは馬車と徒歩で、三峰神社、武甲山、橋立鍾乳洞などにも足を伸ばしています。
秩父は日本の地質学発祥の地で、当時、地質好きが全国から長瀞の岩畳や、ようばけ(秩父盆地層群秩父町層の露頭)などを巡検していますが、宮沢賢治もそのひとりでした。

大正15年3月31日、花巻農学校を依願退職、「羅須地人協会」を設立、農業の指導者となったのです。
こうした鉱石や地質学への造詣は、石灰などを使う農業技術にも大いに役立ち、「肥料の神様」と称されるほどだったとか。

石灰肥料を活用した土壌改良のために一関にあった東北砕石工場(大正13年創業、農地の土壌肥料用の粉状石灰を製造)を訪れています。
宮沢賢治の父・政次郎は病弱な賢治が外で農作業することを心配し、東北砕石工場に出資し、花巻に出張所を開設させ、賢治はそこに就労します。

冬季(農閑期)は石灰も売れなくなるので、東京に営業に出るなど賢治は奔走します。
病に倒れ、花巻で病臥生活となり、その当時使っていた手帳に『雨ニモマケズ』を執筆しています。

昭和53年まで操業していた旧東北砕石工場(国の登録有形文化財)一帯は、「石と賢治のミュージアム」として再生され、見学が可能。
ここを訪れれば、「石っこ賢さん」こと宮沢賢治は、鉱石・地質学に精通し、その知識を農業に生かした宮沢賢治、そして有名な『雨ニモマケズ』が誕生するまでの生涯を学ぶことができます。

昭和6年3月26日、東北砕石工場での記念撮影
「石っこ賢さん」こと宮沢賢治は、鉱石・地質学に精通!
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石と賢治のミュージアム

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