特攻碑公園

特攻碑公園

鹿児島県出水市平和町、出水海軍航空隊跡に築かれた公園が、特攻碑公園(とっこうひこうえん)。「雲こそわが墓標 落暉よ碑銘を飾れ」と刻まれた石碑が戦闘指揮所地下壕の上に立ち、哨舎跡などが現存。往時の地下壕は、見学可能な鹿児島県内唯一の施設にもなっています。

特攻隊が出撃した航空基地跡の一部を公園として保存

特攻碑公園
戦闘指揮所地下壕の入口

300haという広大な敷地を有した出水海軍航空基地は昭和12年に飛行場の建設を開始し、昭和18年4月15日に開隊(第十二連合航空隊に編入)。
帝国海軍が、太平洋戦争開戦後の航空要員大量養成のため、初歩練習部隊として設置した施設で、予科練や、学徒動員された予備学生の操縦教育を行なっていました。
戦争激化に伴い、昭和20年2月11日に解隊し、朝鮮半島・光州へ退避し、光州海軍航空隊として再編成されています。

飛行場自体は、連合艦隊の意向で特攻を主体とした部隊編成が行なわれ、宇垣纏(うがきまとめ)中将率いる第五航空艦隊(全員特攻の決意を訓示)の特攻隊の基地として運用され、260人以上の特攻隊員が戦死しています(玉音放送後も、宇垣中将は特攻を指示、自らも大分基地で「彗星」に乗機し特攻しています)。

戦後は、平和町と命名され、飛行場跡は出水自動車教習所、出水ゴルフクラブなどになり、戦闘機を格納した掩体壕(えんたいごう)3基と戦闘指揮所地下壕、哨舎のみが遺構として現存。

現在は公園内に残る戦闘指揮所地下壕の入口は2ヶ所のみですが、往時には4ヶ所の入口が備えられています。
阿川弘之の『雲の墓標』(昭和31年刊)の主人公である海軍予備学生が訓練を行なった地でもあり、碑文の「雲こそわが墓標 落暉よ碑銘を飾れ」は、『雲の墓標』から採ったもので、「南の海に散る身には、雲こそが墓じるしだ。夕日よ、心あるならこの雲を紅に彩ってくれ」という、出撃を前にした特別攻撃隊員の心境を詠んだもの。

毎年4月16日には遺族を迎えての『出水市特攻碑慰霊祭』が執り行なわれています。

特攻碑公園
哨舎跡
特攻碑公園
出水近海で見つかった海軍機のプロペラ
特攻碑公園
名称 特攻碑公園/とっこうひこうえん
所在地 鹿児島県出水市平和町149
関連HP 出水市公式ホームページ
電車・バスで JR・肥薩おれんじ鉄道出水駅からタクシーで10分
ドライブで 南九州西回り自動車道出水ICから約2km
駐車場 17台/無料
問い合わせ 出水市商工観光部商工観光課 TEL:0996-63-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
出水海軍航空基地掩体壕

出水海軍航空基地掩体壕

鹿児島県出水市平和町、出水ゴルフクラブ南側に現存する3基の遺構が、出水海軍航空基地掩体壕(いずみかいぐんこうくうたいきちえんたいごう)。掩体壕とは、戦闘機などを爆撃から守るために築かれたコンクリート製のシェルターのこと。頑強な造りのため、田

 

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