北海道を旅すると、道東や道北を中心に鉄道駅舎跡地にメモリアルパークのようなものが存在しています。そのなかでも意外に規模が大きく、道の駅にもなっているのにかかわらず、観光ルートから外れているため、旅行者が訪れることが少ないのが旧国鉄相生線北見相生駅一帯を再生し、相生鉄道公園を併設する「道の駅あいおい」です。
津別のカラマツなど森林資材の輸送に活躍した相生線
国鉄相生線は美幌峠の入口として、往時(阿寒摩周パノラマコースがカニ族で埋もれた時代)は観光客がバスに乗り換える拠点でもあった石北本線美幌駅と北見相生駅を結ぶ線。美幌駅~津別駅間が大正13年11月17日に部分開通し、大正14年11月15日に北見相生駅まで全線開通しました。
国道240号沿いに鉄道が敷設されたのは、津別町が阿寒連山や屈斜路外輪山を抱え、森林資源が豊富だったことから。もともとは阿寒湖近くの釧北峠(せんぽくとうげ=釧路国・北見国の国境)を越え、釧路までを結ぶ計画もありました(旧釧北峠は、江戸時代に大塚惣太郎が開削。釧路から網走に馬を輸送)。
実は阿寒北麓の津別町には当時2万8000haという広大な国有林があり、そこに眠るカラマツは、北海道の発展に欠かせない資源として注目されていたのです。相生線の開通とともに津別駅を拠点として、津別川沿いに津別森林鉄道(全長43.8km)も敷設され、効率的に森林資源を運び出しました(ちなみに現在の津別町も87%が森林です)。
鉄道開通の大正末には沿線の本岐(ほんき)に大衆劇場の本岐座もオープンしていますから、当時は森林資源の積み出しで賑やかだったことがわかります(本岐座はその後映画館として活用されましたが残念ながら平成12年6月に取り壊されています)。
高度成長とともに木材・物資のトラック輸送が主体となると、相生線は大幅な赤字路線となり、昭和54年に貨物営業を廃止、昭和60年4月1日に全線廃止となりました。
旧北見相生駅は相生鉄道公園として再生
旧北見相生駅は相生鉄道公園として残され、旧駅舎、旧官舎2棟、旧機関庫、転車台跡(ターンテーブル)のほか、湧網線などで活躍したジーゼル客車「キハ2269」(昭和34年製造/日本車輌製造)、スハフ42502(客車/昭和27年製造/近畿車輛)、ワム180455(貨車)、トラ74509(貨車)、ワフ29574(車掌車)、キ703(広幅雪掻車)、自転車トロッコが保存されています。
キハ22は、北海道を代表する気動車(北海道用向けの耐寒仕様車で道内のローカル急行にも数多く使用されました)でしたが平成7年3月に姿を消しています。
懐かしい客車のスハフ42502。スハフ42形の500番台は北海道向け改造車で、スハフ42形0番台から改造された19両のうちの1両です。戦前はこの手の客車が代表的な3等車でした。現役最後は旭川客貨車区に配属され、石北本線、宗谷本線などで使用されましたが今ではライダーハウスとして余生を送っています。
道の駅あいおい | |
名称 | 道の駅あいおい/みちのえきあいおい |
所在地 | 北海道網走郡津別町相生 |
関連HP | 津別町公式ホームページ |
ドライブで | 女満別空港から約47km |
駐車場 | 94台/無料 |
問い合わせ | 道の駅あいおい TEL:0152-75-9101 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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