山にかかる雲により、地元の人が天気の予測に、海上からは位置を知る目印として使われてきた丹沢の霊峰が大山(標高1252m)。明治初年の神仏分離以前、中世、近世の神仏習合時代には、山中の大山寺に祀られる不動明王、山頂に祀られた石尊大権現の霊験から大山詣りという信仰登山が盛んに行なわれました。
丹沢の霊山として信仰の対象に
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で衰退しましたが、大山寺は、天平勝宝7年(755年)、東大寺初代別当(住職)の良弁(ろうべん)が聖武天皇の勅願寺として開創した歴史ある名刹。
江戸時代には、山麓に御師(大山講のガイド)の家並みを構成し、門前町として賑わいました。
最盛期の宝暦年間(1751年~1764年)には年間、数十万人の人が大山に詣でています。
江戸時代、関東各地に「大山講」が組織され、大山に通じる道は大山道(おおやまどう=大山街道)として整備されていきました(国道246号は大山道の代表的な存在です)。
山頂にあった石尊大権現(せきそんだいごんげん)へは、旧暦6月28日から7月17日まで登拝が許されていました。
石尊大権現は、大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神(仏が神という仮の姿で現れたもの)で、山中の大山寺に祀られた不動明王が本地仏(本地垂迹説で神の真の姿とされる仏)。
大山阿夫利神社も明治の神仏分離まで、大山寺と神仏混淆し、祭神は石尊大権現でした。
山頂の巨大な岩石を磐座(いわくら)とする古代の信仰がルーツ。
相模湾の水蒸気をたたえた風を受け、雨が降ることが多いので、古代から雨乞いの信仰(阿夫利山、雨降山)、そして霊山になったのだと推測できます。
登拝門から徒歩1時間30分で山頂へ
江戸時代には江島弁財天を詣でる江の島詣でとともに、手頃な行楽として人気を博しました。
富士登拝の富士講と、大山登拝の大山講はセットとしてPRされ、どちらかだけだと「片参り」と喧伝(けんでん)され、多くの登拝者を集めたのです。
また、大山には日本の八天狗(相模大山・飯綱山・比良山・愛宕山・鞍馬山・大峰山・白峰山・英彦山の八山に住んだという大天狗)に数えられた大山伯耆坊(だいせんほうきぼう)の伝承も残されています。
大山伯耆坊は、もともと伯耆大山(ほうきだいせん=鳥取県の大山)にいましたが、平安時代末期、相模大山の大山相模坊が、保元の乱に敗れて四国・讃岐に流された崇徳上皇のもとに去った後、その後継として山移りしたと伝えられています。
現在は阿夫利神社の下社までケーブルが通じ、登拝口の門(登拝門)をくぐってから1時間30分のハイキングで山頂に立つことができます。
登山道には1丁目(登拝門)から順に表示があり、8丁目が夫婦杉、14丁目が牡丹岩、15丁目が天狗の鼻突き岩、20丁目が富士見台、そして28丁目が山頂。
山頂には阿夫利神社の本社が建ち、夏山シーズン、土・日曜などのみ有人となっています。
山麓には「旅館東学坊」、「宿坊かげゆ」など、宿坊時代の面影を残す宿泊施設もあるので、そんな宿を基地にするのもおすすめです。
有名な大山豆腐も御師たちが、清涼な水で豆腐をつくったのが始まりです。
丹沢は、移動した海底火山が造山活動で誕生
丹沢は1700万年前、はるか南の海で海底火山として誕生。
フィリピン海プレートにのって北上し、500万年前に本州に衝突。
さらに100万年前の伊豆半島(やはり海底火山で誕生した南の島)の衝突により、丹沢の隆起が発生、丹沢山系の原形が形造られました。
そのため大山の地質は、緑色凝灰岩(グリーンタフ=火山灰が固まってできる凝灰岩のうち、造山運動による変質作用によって生成された緑色を示す変成鉱物)。
山頂部に突出した巨岩(石尊大権現として信仰)も緑色凝灰岩の露頭です。
現在は丹沢大山国定公園(2万7572ha/特別保護地区1867ha)、県立丹沢大山自然公園(3万8927ha=神奈川県の16%)として、都市部に近い貴重な自然が保護されています。
大山(丹沢) | |
名称 | 大山(丹沢)/おおやま(たんざわ) |
所在地 | 神奈川県伊勢原市大山 |
電車・バスで | 小田急線伊勢原駅から神奈川中央交通バス大山ケーブル駅行きで26分、終点下車、大山ケーブルカーで大山寺駅下車 |
ドライブで | 東名高速道路厚木ICから約13km |
駐車場 | 市営第1駐車場(84台/有料)・市営第2駐車場(44台/有料) |
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