日本100名城に数えられる小田原城(神奈川県小田原市)。現存する小田原城天守閣は、昭和35年、小田原市制20周年記念事業として総工費8000万円をかけて建設された復興天守。宝永3年(1706年)の再建の際に作られた模型や設計図を基に、コンクリート製ながら外観は当時のままに復元しています。
現在の天守は昭和35年築の復興天守
小田原城は、将軍上洛の際の宿所となったため、寛永11年(1634年)に、3代将軍・徳川家光は小田原城の天守に上り、保管される武具や展望を楽しんだと伝えられています。
江戸時代初期に建立された天守は、元禄16年(1703年)の元禄大地震で倒壊しますが、宝永3年(1706年)に再建され、明治3年の廃城まで威容を示していました。
廃城とともに破却され、天守台跡は管轄する陸軍から旧藩主・大久保家に払い下げられたため明治26年、大久保忠世を祭神とする大久保神社が建立。
さらに明治の中期から皇族が避寒のため小田原に滞在することが多くなったため、明治33年、大久保家が土地を返却し、宮内省所有の御用邸用地となっています。
こうして天守台跡には明治33年11月、総工費15万7000円をかけて小田原御用邸が完成します。
この御用邸も大正12年9月1日の関東大震災で倒壊。
戦後までは、復興することなく石垣だけが存続していました。
その後、昭和35年に市制20周年の記念事業として現在の小田原城天守閣が復元。
3重1階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造。
内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。
最上階の高欄付き廻縁は、江戸時代の天守にはなく、復興に際して新たに付けられた展望用の設備。
廻縁部分からは相模湾を一望にし、晴れていれば房総半島まで眺望します。
小田原市では平成18年に天守閣の高さを基準とした高度規制を実施し、小田原天守閣の高さを超える建物の建築を制限しています。
そのため、東海道新幹線の車窓からも天守閣を目にすることができるのです。
ちなみに、天守の建つ本丸には元禄大地震まで本丸御殿も建っていました。
二の丸御殿を藩主の居館と政庁とし、本丸御殿を徳川将軍の宿所としていたのです。
小田原城天守閣 | |
名称 | 小田原城天守閣/おだわらじょうてんしゅかく |
所在地 | 神奈川県小田原市城内6-1 |
関連HP | 小田原城公式ホームページ |
電車・バスで | JR・小田急・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道小田原駅から徒歩10分 |
ドライブで | 小田原厚木道路小田原東ICから約5km、荻窪ICから約3km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 小田原城総合管理事務所 TEL:0465-23-1373 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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