金剛寺(源実朝御首塚)

金剛寺(源実朝首塚)

鎌倉幕府3代将軍・源実朝は、建保7年(1219年)1月27日、右大臣任官の祝賀が行なわれた鶴岡八幡宮参拝の帰り道、境内で甥(おい)の公暁に暗殺されてしまいます。神奈川県秦野市(はだのし)にある金剛寺は、鶴岡八幡宮境内で暗殺された源実朝の御首(みしるし)を武常晴(たけつねはる)により埋葬されたという臨済宗建長寺派の寺です。

本尊の阿弥陀三尊像は源実朝の念持仏を北条政子が奉納

源実朝の胴体は寿福寺境内に掘られたやぐらのなかの塔が築かれ葬られ、首は公暁の追っ手の武常晴が秦野に持参し、実朝が帰依した僧・退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が木造の五輪塔を築いて葬ったと伝えられています。
武常晴の母は源実朝の乳母だったとか(武俊次著『武氏周辺』)。
退耕行勇は、同じ時期に高野山に上って金剛三昧院(こんごうざんまいいん)を開創しており、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には、源実朝の遺体は金剛三昧院に葬られたと記されているので、秦野に葬られたというのはあくまで伝承ということになります。

土地の豪族・波多野忠綱は、建長2年(1250年)、実朝の三十三回忌にあわせて金剛寺として創建(創建の由来は諸説あって定かでありません)。
寺の名は、実朝の法号金剛寺殿にちなむもの。

源実朝が生前礼拝した阿弥陀三尊を北条政子が寄進。
本堂には、実朝像が安置され、本尊の阿弥陀三尊はその実朝の念持仏です。

首塚には、『金槐和歌集』に載せられた源実朝の歌、「ものいわぬ 四方のけだもの すらだにも あはれなるかなや 親の子をおもふ」が記された歌碑も立っています。

武常晴は、三浦義村の家臣で、その三浦義村が公暁の背後にある源実朝暗殺の首謀者とも目されています。
つまり、家臣である武常晴が三浦義村と昵懇(じっこん)だった波多野忠綱の領地内に墓所を築いたのでは、と地元・秦野では推測されているのです。

毎年11月23日に御首塚と田原ふるさと公園で『実朝まつり』が開催されています。

金剛寺(源実朝御首塚) DATA

名称 金剛寺(源実朝御首塚)/こうごうじみなもとのさねともみしるしづか
Konngoji Temple
所在地 神奈川県秦野市東田原1116
関連HP 秦野市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 小田急線秦野駅から神奈川中央交通バスくず葉台経由藤棚行き・くず葉台経由神奈川病院循環秦野駅行きで15分、中庭下車、徒歩5分
ドライブで 東名高速道路秦野中井ICから約6km
駐車場 あり
問い合わせ TEL:0463-81-9160
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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