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熊本城・数寄屋丸

熊本城・数寄屋丸

熊本県熊本市中央区、熊本城の本丸にそびえるのが天守。熊本城の大天守および小天守は高さ16mほどの石垣の上に南に大天守、北に小天守を築き、その上に望楼をそれぞれ東西方向に向けて乗せています。大天守が右側、小天守が左側に来る、ベストショットポイントが数寄屋丸(すきやまる)と平左衛門丸です。

天守を撮影する絶好の場所は、大坂城・山里丸を真似た!?

平左衛門丸から眺めた大天守と小天守

実は、熊本城の小天守は、大天守の北側の眺望の妨げにならないよう少し西にずらして縄張り(レイアウト)されています。
さすがは築城名人の加藤清正ですが、この絶妙な配置がよく分かるのが数寄屋丸からの眺めで、天守を撮影するのもツウ好みの絶好の場所となっているのです。

数寄屋丸は、豊臣秀吉時代の大坂城・山里丸の流れを汲むもの。
山里丸は、大坂城の本丸の一段下、天守の北東側にある曲輪(くるわ)で、本丸天守台とは段差があるので天守を北東側から見上げるかたちに。
豊臣秀吉は、この山里丸を茶室を設け要人をもてなす場、家族団らんの場にしています(大坂の陣では、淀君と豊臣秀頼最後の地)。
熊本城における数寄屋丸(本丸南西側)も数寄屋(母屋とは別に建てられた小規模な茶室)という名の通り、加藤清正は文化的遊興の空間として縄張りしています。

平成元年に熊本市制100周年を記念して復元された数寄屋丸二階御広間(すきやまるにかいおんひろま=数奇屋丸二階櫓)も、もともとは茶会、歌会、能などを楽しむ場として建てられたものです。

数寄屋丸から見上げる大天守の景観は、築城の名手・加藤清正は当然、意識して縄張りしたと推測できるので、カメラを構えても、かなりの迫力で大天守がフレームに収まります。

熊本城・数寄屋丸
名称 熊本城・数寄屋丸/くまもとじょう・すきやまる
所在地 熊本県熊本市中央区本丸1-1
関連HP 熊本城公式ホームページ
電車・バスで JR熊本駅から市電で10分、熊本城前下車、徒歩10分
ドライブで 九州自動車道熊本ICから約9km
駐車場 熊本城二の丸駐車場(160台/有料)
問い合わせ 熊本城総合事務所 TEL:096-352-5900/FAX:096-356-5655
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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熊本城・天守

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