「瀬戸内海最小の有人島」は、村上水軍の拠城と渦潮の島

来島

「瀬戸内海最小の有人島」は、愛媛県今治市の来島(くるしま)。四国の沖合240mほどの場所にあり、面積0.04平方キロ、周囲850mという大きさは有人島としては中国・四国地方でも最小。島内には村上水軍(村上海賊)の来島城の城跡があるほか、「日本三大潮流」の来島海峡では渦潮も発生。

現在の来島にあるのは、一本釣の漁村と港

来島

来島海峡は、「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関瀬戸(関門海峡)」と船乗りたちに恐れられた海峡。
その潮の流れを掌握、瀬戸内海で活躍したのが村上水軍(村上海賊)で、小島ながら、海峡守備の要衝に位置する来島は、能島、因島と並び、村上水軍の根拠地となっていました。
関ヶ原の戦いで西軍に加わり、豊後国・森へ転封となった来島長親(くるしまながちか=森藩初代藩主)になって海を失うまで、6代、160年ほどの間、この来島(来島城)が村上水軍の拠点、本城でした。

まさにパイレーツ・オブ・瀬戸内の本拠地ということに。
海運で栄え、「日本最大の海事都市」と称される今治市の海運のルーツは、この来島にあるのです。


来島の人口は、令和5年9月の住民基本台帳に基づくデータで、20人(意外にも令和2年に比較して6人増えています。)。
かつては繁栄した漁業集落で、潮流の速い来島瀬戸に棲息する高級魚を漁獲する一本釣漁業で生計を立てている漁民も。

実はこの一本釣りの漁民、来島長親が九州の豊後の内陸地に転封され、来島城が廃城となった際に、島にとどまって漁業に従事した家臣の末裔なんだとか。
つまりは村上水軍(村上海賊)の末裔が、今も海峡の早瀬を活かした漁をしているということに。

来島城は日本遺産「日本最大の海賊の本拠地」の構成文化財にもなっていますが、残念ながらその遺構は、石垣が残る程度です。
海賊といっても船を襲撃するわけではなく、通行料「帆別銭」と交易で生計を立て、戦争が勃発すると当時の高速船を使って参戦し、その地位を確固たるものにして戦国乱世を生き抜いた集団です。

来島城を本拠とする来島村上氏は伊予国守護の河野氏の重臣でもあり、率いる水軍は中国地方の覇権を握った毛利氏の有力な戦力にもなっていました。

ちなみに「村上水軍」という呼称は江戸時代以降、海軍のルーツとされてからで、中世には海賊と呼ばれていたので、近年では村上海賊という呼称が一般的です。

波止浜(今治)~来島~小島~馬島には今治市の「くるしま丸」(19t)が就航。
波止浜〜来島は5分の船旅なので、日帰りでの探勝も可能です。

来島
「瀬戸内海最小の有人島」は、村上水軍の拠城と渦潮の島
所在地 愛媛県今治市来島
場所 来島
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