光明寺

光明寺

京都府長岡京市にある西山浄土宗総本山が光明寺(こうみょうじ)。承安5年(1175年)、法然上人が45歳の時に、庵を結び、初めて専修念仏の教えを説いた地で、「浄土門根元地」。法然の法弟、熊谷直実(くまがいなおざね)が建久9年(1198年)に堅田の浮御堂から阿弥陀如来を迎えて念仏三昧堂としたの起源です。

法然が初めて専修念仏の教えを説いた地

鎌倉武士の熊谷直実が、法然ゆかりの地に念仏三昧堂を開き、法然は「念仏三昧院」の寺号を与えたのが寺の起源。

熊谷直実は、武蔵国熊谷郷(現・埼玉県熊谷市)を本貫(ほんがん=祖となる拠点)とする源頼朝の御家人で、寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いで、我が子・熊谷直家と同い年ほどの少年だった平敦盛(たいらのあつもり/一ノ谷の戦いでは15歳)を呼び止めて一騎打ちを挑んで討ち取ったことを自戒し、建久4年(1193年)頃、法然の弟子となり出家していました。

法然没後の嘉禄3年(1227年)に起こった嘉禄の法難(天台宗の延暦寺衆徒による浄土宗弾圧事件)の際、東山の法然廟所(現・知恩院の法然上人御廟)を破壊して、法然の遺骸を鴨川に流そうという動きがあったので、急遽、遺骸を二尊院に移すも、延暦寺に移送が知られ、さらに太秦の来迎院(現・西光寺)に改葬、法然の17回忌にあたる安貞2年(1228年)、念仏三昧院(現・光明寺)に運び込んで、火葬にして廟所を建立。
その際、法然の石棺からまばゆい光明が発せられたことを伝え聞いた四条天皇が光明寺と命名。
念仏三昧院から光明寺に寺名を改めたのです。

壮大な伽藍は、応仁の乱などの戦火にあい、さらに享保19年(1734年)の火災では御本廟と鐘楼を除いて一山が全焼しますが復興し、現在も33の堂宇が建ち並んでいます。

火災後の宝暦3年(1753年)再建の御影堂(みえいどう)、寛政11年(1799年)再建で、阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂などが回廊で結ばれ、独特の雰囲気を現出。

御影堂は、寺の中心となるお堂で、法然上人自作の「張子の御影」を祀っていますが残念ながら拝観はできません。
枯山水庭園の「信楽庭」は戦後の作庭。

天保16年(1845年)築の総門からは真っ直ぐ本堂へと上る石段の表参道と、傾斜がゆるい女人坂に分かれ、女人坂は紅葉参道との別名があるカエデ類のトンネル。
総門から本堂へは京都屈指の紅葉の名所で、紅葉の見頃は例年11月中旬~12月上旬頃。
午前中の方が光線状態がいいことをお忘れなく。
「そうだ 京都、行こう。」のCMにも使われた光明寺の紅葉は、お目当ての観光客も多いため、朝イチの入山がおすすめです。

光明寺、善峯寺、柳谷観音 楊谷寺は、西山三山と呼ばれ、いずれも紅葉の名所。

「浄土門根元地」の光明寺に法然の廟所があるワケは!?

平安時代の末期、貴族仏教全盛の時代に浄土宗をひらいた法然。
「南無阿弥陀仏」をひたすら唱える「専修念仏」によって、すべての人々が平等に救われると説く法然の教えは、またたく間に庶民に広がっていきました。

法然の説いた専修念仏に対しては比叡山(天台宗)の僧徒などのよる激しい抵抗がおこり、建永2年(1207年)、後鳥羽上皇によって専修念仏の停止が決められ、法然上人は75歳にして4年間の土佐国(実際には讃岐国)流罪を経験します。
後鳥羽上皇の熊野詣の折、法然門下の住蓮と安楽が東山鹿ケ谷で催した念仏集会に、宮中の女官数名が密かに参加し出家したことが後鳥羽上皇に逆鱗に触れ、法然も流罪となったのです。
これが承元の法難(じょうげんのほうなん)で、蓮如(れんにょ=真宗中興の祖)は『歎異抄』に「興福寺の僧が敵意を持って後鳥羽上皇に讒言(ざんげん)」と記していますが、旧来の仏教勢力にとって、法然の「専修念仏」はいかに脅威だったのかがよくわかります。

法然に対する弾圧は、法然没後15年も経た嘉禄3年(1227年)の嘉禄の法難へと続き、東山の法然廟所から密かに光明寺(当時は念仏三昧院)に遺骸を移し、この地で火葬しているのです。

光明寺
名称 光明寺/こうみょうじ
所在地 京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1
関連HP 光明寺公式ホームページ
電車・バスで JR長岡京駅西口・阪急京都線長岡天神駅から阪急バス20・22 系統で14分(長岡天神駅からは8分)、光明寺下車、徒歩5分で総門
ドライブで 名神高速道路大山崎ICから約4.5km
駐車場 50台/無料、11月中旬~12月中旬は有料
問い合わせ 光明寺 TEL:075-955-0002/FAX:075-953-2264
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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