サイトアイコン ニッポン旅マガジン

保津峡

保津峡

嵐山(京都市右京区)から上流の桂川(かつらがわ)を保津川(ほづがわ)と呼び、嵐山から亀岡市の保津大橋あたりまでのおよそ16kmの景勝地を保津峡と呼んでいます。丹波の杉や檜を筏に組んで流した川で、現在では保津川遊船企業組合の「保津川下り」が行なわれています。並行して嵯峨野観光鉄道の「トロッコ列車」も運行。

江戸時代に角倉了以が掘削

平安京の造営時にもこの保津峡を使って木材を都に運んだと伝えられています。
江戸時代初期、丹波の豊富な木材や薪炭、米や野菜などの物産を効率よく京に運ぶため、慶長11年(1606年)には角倉了以(すみのくらりょうい=吉田了以)が保津峡を開削し、本格的な舟運が導入されています。
「大石あるところは轆轤(ろくろ)索を以て之を牽(ひ)き、石の水面に
出づるときは則ち烈火にて焼砕す。瀑(たき)の有る所は其上をうがって準平にす」(大悲閣「河道主事嵯峨吉田了以翁碑」)という難工事でした。

渓谷の両岸は浸食作用によって誕生した典型的なV字谷の絶壁。
屏風岩やライオン岩などの奇岩が林立しています。
周囲の山々はアカマツの美林、北山杉やヒノキの人工林、雑木林で、初夏には緑がまぶしいくら。
春の山桜、初夏の山ツツジ、秋の紅葉など四季を通じて楽むことができます。

車からこの景勝を見ることはできないので、往路は嵯峨野観光鉄道の「トロッコ列車」、帰路は保津川遊船企業組合の「保津川下り」というのが一般的な楽しみ方。
ただしこの方法だと歩くことがないので、トロッコ保津峡駅を起点に清滝までハイキングするプランなどを加えれば変化が生まれます。
トロッコ保津峡駅は、昭和4年8月17日 、 国鉄山陰本線の松尾山信号場として開設された駅(昭和11年4月15日、旅客駅化し、保津峡駅として開業)。
平成元年3月5日、嵯峨駅〜馬堀駅間が複線の新線に切り替えられ、平成3年4月27日、旧線が日本初の観光専用鉄道として営業開始したもの。

保津峡の不思議な誕生

500万年前、亀岡は巨大な湖で、そこから流れ出る保津川が長い年月をかけて山を削り、峡谷が誕生。
川は山地から盆地に向かって流れます。
保津川(桂川)は、山地を貫いて流れていますが、それは一帯を走る樫原(かたぎはら)断層の活動によって平野が隆起する速度より、桂川の浸食で谷が削られる速度の方が早かったから。
熊野川、大井川中流、四万十川などと同様に、穿入蛇行(せんにゅうだこう=山地において川が曲がりくねっていること)と呼ばれる蛇行にも特徴があります。
そんなダイナミックな大地の営みを秘めた保津川の渓谷一帯の71.3haは、京都府立保津峡自然公園に指定されています。

保津川の蛇行を俯瞰的に眺めたい場合は、嵐山-高雄パークウエイの保津峡展望台へ。

保津峡
名称 保津峡/ほづきょう
所在地 京都府京都市西京区嵐山北松尾山
電車・バスで JR保津峡駅からすぐ
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

保津川下り(保津川遊船)

京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)は、大堰川(保津川)を開削して丹波と京都を結ぶ水運を考案、慶長11年(1606年)にわずか5ヶ月で工事を完成させる。その水運のルートを利用して明治時代に始まったのが現在の保津川遊船(京都府亀岡市)の

嵯峨野トロッコ列車『光の幻想列車』運行|2024

2024年10月12日(土)~12月29日(日)16:30~最終列車、京都市の嵯峨野トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)で沿線のライトアップ&イルミネーション、『光の幻想列車』を運行。トロッコ嵐山駅~トロッコ保津峡駅には約2000本の山桜

保津峡駅

保津川(桂川)に架る橋脚を駅舎にした、全国的にも珍しい駅が、JR西日本・山陰本線(嵯峨野線)の駅が保津峡駅。昭和4年8月17日開設の松尾山信号場が前身で、昭和11年4月15日開業。当時は現在のトロッコ保津峡駅に駅がありましたが、平成元年3月

嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)

JR嵯峨野線・嵯峨嵐山駅に隣接するトロッコ嵯峨駅(京都府京都市右京区)とトロッコ亀岡駅(亀岡市)を結び保津峡沿いに走る全長7.3kmの観光列車が、嵯峨野観光鉄道。複線電化で廃線となった保津峡沿いの山陰本線をトロッコ列車の観光路線として再生し

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了