先斗町

先斗町

京都市街を南北に流れる鴨川と木屋町通の間にある花街が先斗町(ぽんとちょう)。織田信長時代にポルトガルの教会が、この辺りにあって、先を意味するポント(ポンタ)が語源とも、鴨川と高瀬川の堤に囲まれた一角ということで川を皮に、堤を鼓に転じて皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと鳴るということが由来ともいわれています。

他にはない、独特の空間を創出!

先斗町

三条通一筋下ルから四条通まで、鴨川と木屋町通の間を南北に走る、石畳の狭い通りが先斗町。
行政的には先斗町という地名はなく、あくまでも通称名です。
南北に続く通りの北端には、毎年5月1日〜5月24日に『鴨川をどり』が上演される昭和2年築のレトロな先斗町歌舞練場(ぽんとちょうかぶれんじょう)があります。

江戸時代初期の寛文10年(1670年)、鴨川の州を埋め立て、新河原町通が誕生したのが始まり。
正徳2年(1712年)頃に高瀬川を上り下りする高瀬舟の船頭や旅客を相手にした旅籠屋に、茶立女を置いたことで花街の歴史の皮切りです。
幕末の(安政6年)、芸者嫁業の公許が下り、明治5年に『鴨川をどり』が初演され、先斗町は花街の仲間入りを果たしたのです。

東京オリンピックが開かれた昭和39年、和田弘とマヒナスターズと松尾和子が発売したヒット曲『お座敷小唄』(作詞:不詳、作曲:陸奥明)で、「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし 溶けて流れりゃみな同じ」と歌われ、先斗町の名前は全国にとどろきました。

通りの広さは、江戸時代と同じ。
禁門の変によるどんどん焼けで焼失を免れた場所で、しかも明治以降の道路拡張がなかったので、往時のままの「狭い道路」が残されています。
しかも建物は敷地境界のギリギリに建ち、2階部分でも通りの縁まで建物が迫るように建てられています。
通常の京町家と異なる造りの建物が建ち並び、通りの西側には独特の路地が築かれています。
京都の町並みの中でも、先斗町は他にはない、独特の空間を生み出しているのです。

先斗町
京都五花街
京都の上七軒(上七軒歌舞練場で4月15日〜4月25日に『北野をどり』を上演)、祇園甲部(京都で最大の花街で4月1日〜4月30日に祇園甲部歌舞練場で『都をどり』を上演)、祇園東(11月1日〜11月10日まで祇園会館で『祇園をどり』を上演)、宮川町(宮川町歌舞練場で『京をどり』を上演)、そして先斗町の5つの花街が京都五花街(京都花街組合連合会に加盟)。
これに嶋原を加えて「京都の六花街」とも呼ばれています。
京都市は「京都をつなぐ無形文化遺産」に、京都の花街はおもてなし文化の一大中心地として栄えてきたにもかかわらず、伝統伎芸とおもてなしの担い手である芸妓が年々減少していることから、「京・花街の文化」(「五花街」と「島原」の文化)を選定しています。
先斗町
名称 先斗町/ぽんとちょう
所在地 京都府京都市中京区先斗町通三条下ル橋下町
関連HP 京都先斗町のれん会公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄東西線京都市役所前駅、または、阪急河原町駅、京阪三条駅から徒歩5分
駐車場 市営御池地下駐車場(1000台/有料)など
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
先斗町歌舞練場

先斗町歌舞練場

2019年4月14日
鴨川納涼床

鴨川納涼床|京都市

2019年4月14日

 

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