承和年間(834年~848年)、山代淡海(やましろのおおえ)が国家鎮護のために創建したと伝わる古刹が六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)。六道とは、仏家のいう地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6種の冥界をさし、平安時代に東山山麓にあった鳥辺野(とりべの=埋葬地)入口に建つことから、冥界の入口の守護の役割を担っていました。
現世と冥界の接点を意味する「六道の辻」が門前に!
鎌倉時代までは東寺に属していましたが、室町時代に建仁寺(けんにんじ)の聞渓良聡(もんけいりょうそう)が入寺して再興、臨済宗建仁寺派に改められました。
今も京都では8月7日〜10日の4日間、盂蘭盆(うらぼん)を前に先祖の精霊を家に迎えるため、六道珍皇寺へ参る風習「六道詣り」があり、期間中は閻魔堂(篁堂)が開扉されています。
「お精霊(しょうらい)さん迎え」とも呼ばれる京都らしい行事です。
平安前期の歌人で嵯峨天皇に仕えた小野篁(おののたかむら)が冥界に通ったと伝わる「冥土通いの井戸」が本堂裏に残されています。
毎夜井戸を通って地獄に降り、閻魔大王(えんまだいおう)のもとで裁判の補佐をしていたという伝説です。
寺宝展などの特別公開時を除き非公開となっています。
冥土よりの帰路に使ったと伝わる井戸「黄泉がえりの井戸」は、平成23年、隣接民有地(旧境内地)から発見されたもの。
仏教では、人は因果応報(いんがおうほう)により、死後は六道を輪廻転生(りんねてんせい)するといわれます。
この世とあの世の境である六道の分岐点が六道珍皇寺で、冥界への入口と信じられてきたのです。
背景には、寺の建つ場所が、野辺の送り(平安時代には人が死ぬと洛外へ運び野ざらしにし風葬されていました)が行なわれた鳥辺野(北の蓮台野、西の化野とともに京の三大墳墓地)への道筋で、人々は世の無常を感じたのだと推測できます。
つまり、門前に立つ「六道の辻」の石碑は、現世と冥界の接点を意味した石碑に。
三界萬霊供養塔は、無色界(むしきかい)、色界(しきかい)、欲界(よくかい)のという三界すべての精霊に対して供養するということを表す碑。
我が家の先祖だけでなく、すべての精霊に供養することの大切さを教えるもの。
六道珍皇寺 | |
名称 | 六道珍皇寺/ろくどうちんのうじ |
所在地 | 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595 |
関連HP | 六道珍皇寺公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電鉄祇園四条駅から徒歩13分 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約11km。または、阪神高速8号京都線鴨川東出口から約6kmで京都市出町駐車場 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 六道珍皇寺 TEL:075-561-4129/FAX:075-561-4129 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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